音楽は自由にする
2023年05月15日
音楽は自由にする
表現と言うのは結局、他者が理解できる形、他者と共有できる形でないと成立しないものです。
だからどうしても、抽象化というか、共同化というか、そういう過程が必要になる。すると、個別な体験、痛みや喜びは抜け落ちて行かざるを得ない。
そこには絶対的な限界があり、どうにもならない欠損感がある。
でもそういう限界と引き換えに、まったく別の国、別の世界の人が一緒に同じように理解できる何かへの通路ができる。
言語も、音楽も、文化も、そういうものなんじゃないかと思います。
これは坂本龍一さんが、自伝『音楽は自由にする』のなかで書かれている言葉なのですが、
ここに、フィギュアスケートを付け加えても全く違和感ないなと思いました。
羽生選手が常々、プログラムに個人的な思い入れがありつつも、それを観る側に押し付けることなく、受け取る側の個々人の解釈にゆだねるということを言っているのと重なりました。
表現を抽象化することによって、個人的な体験や想いは、より広い世界に届くものになるというのは、音楽もフィギュアスケートも同じですね。
坂本龍一さんは、東日本大震災後に東北ユースオーケストラを創設し、被災地の子供たちや若者の音楽活動を熱心に支援してくださいました。
幼稚園の時には、「将来なりたいものは?」という問いかけに、「ない」と答えた龍一くんは、
いかにして世界の『坂本龍一』になったのか、とても興味深く読みました。
皆さまにも是非お薦めしたい本です。
坂本龍一が語る坂本龍一
「あまり気が進まないけれど……」と前置きしつつ、日本が誇る世界的音楽家は静かに語り始めた――。伝説的な編集者である厳格な父。ピアノとの出合い。幼稚園での初めての作曲。学生運動に明け暮れた高校時代。伝説的バンドYMOの成功と狂騒。たった一人の「アンチ・YMO」。『ラストエンペラー』での栄誉。同時多発テロの衝撃。そして辿りついた新しい音楽――。華やかさと裏腹の激動の半生と、いつもそこに響いていた音楽への想いを、自らの言葉で克明に語った決定的自伝。
坂本龍一
1952年東京生れ。東京芸術大学大学院修士課程修了。’78年『千のナイフ』でソロデビュー。同年、YMOの結成に参加。’83年に散開後は『音楽図鑑』『BEAUTY』『async』などを発表、革新的なサウンドを追求し続けた姿勢は世界的評価を得た。映画音楽では『戦場のメリークリスマス』で英国アカデミー賞音楽賞を、『ラストエンペラー』でアカデミー賞作曲賞、ゴールデングローブ賞最優秀作曲賞、グラミー賞映画・テレビ音楽賞など多数受賞。環境や平和問題への言及も多く、森林保全団体「more trees」を創設。また「東北ユースオーケストラ」を設立して被災地の子供たちの音楽活動を支援した。2023年3月28日逝去。
71歳という、まだまだこれから活躍できる年齢で逝かれたことが本当に残念です。
いつか、結弦くんに坂本龍一さんの曲で滑って欲しいです。
お読みいただきありがとうございました。
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