阿部奈々美

2023年03月06日

奈々美先生・萬斎さん・MIKIKO先生




奈々美先生のインタビューがきました。

初めて知った貴重な内容です。
 


 リンクが一時閉鎖する2004年12月まで数々の名選手を育て上げた長久保の、「選手第1号」が阿部だった。高校1年から競技を引退する大学4年まで師事し、その間に2度、全日本選手権に出場。現役引退後は約7年間、海外でディズニー・オン・アイスに出演する傍ら、長久保のアシスタントとして指導や振付を行った。


音楽好きの父のもとで育ち、小学校低学年の頃にはレコードからカセットテープに録音し編集する技術を身につけていた。スケートの大会で使用する曲として当時のコーチに提案するも、採用とはならず。「自分の好きな曲でやってみたいのに……」ともどかしさを感じながら、与えられたプログラムを演じていた。

「使いたい曲はないのか?」

 長久保の問いかけに対し、阿部は「明るい曲がいいです」と答えた。長久保は大まかな回答に戸惑いながらも、リクエストに沿った曲を提案。さらに阿部が「使いたい」と言ったパートをつなぎ合わせて曲を編集し、一方で振付は阿部に一任することで、選手自身が心から滑りたいと思えるプログラムを完成させた。

大学生になってからは編曲も自身で行うようになり、長久保の教え子である小学生の振付を任されることもあった。
「聞いて良い曲だと思っても、曲を使う選手の滑っている姿が見えないようでは合致しない。振付に関しては、とにかく自分の感性を大切にしている」

指導する立場になってからも、得がたい出会いがいくつもあった。その中の一つが、羽生結弦との出会いだ。

 出会った当初の羽生は「元気がよく、負けず嫌いな普通の小学生」だった。しかしコーチとして接するなかで、「何かを持っている」特別なスケーターだと気づかされた。

「ゆづの場合、練習で調子が悪い姿を見ても、『試合ではやるだろうな』と感じさせてくれた。他の選手の練習を見て『良いジャンプが続いているけど、次はミスするだろうな』などと予感することはあったけど、そこまで『大丈夫だろう』と感じさせてくれるのはゆづだけだった」

 長年のコーチ経験がある阿部にとっても「不思議な感情」だったというが、「試合に向けて必死に、一生懸命にスケートと向き合い、練習を積み上げてきた姿が私の頭の中に蓄積されていた」ことが、他にはない感情を生み出した要因ではないかと分析する。

「決して長くない人生の中で、これだけの時間をゆづと共有できたことに、ものすごく感謝している」

++++++++

以上、一部だけ抜粋させていただきましたが、是非全文をお読みください。⇒こちらから

幼い時から音楽的センスに恵まれていた奈々美先生の影響は、確かに結弦くんの中に受け継がれているのだと思いました。

競技プロにせよ、エキシプロにせよ、奈々美先生の音楽の選択が素晴らしいと思っていましたが、

このインタビューを読んで、奈々美先生と結弦くんの師弟の絆は、音楽への向かい方という意味でも、とても貴重でかけがえのないものだと感じました。

『ロミオとジュリエット』の編曲とか、素晴らしいですが、もしかしたら、2012年までの結弦くんのプログラムは奈々美先生による編曲だったのか?

11 全日本

2011年全日本選手権(私が初めて結弦くんを知った時。)

インタビュー後編もとても楽しみです。





野村萬斎さんのラジオ番組も聴かせていただきました。

最初から『GIFT』のお話が出てきます。
萬斎さんはドームの特別席でご覧になっていました。

MIKIKO先生とはLINEで連絡し合っていたということです。



「野村萬斎×MIKIKO」とは、正に幻の東京オリンピック開閉会式演出チームでした。

それを思うと、『GIFT』がオリンピック開会式と見紛う演出だったとしても、ちっとも不思議ではありませんね。


結弦くんのこと、「現代のハムレットか」とつぶやいていた萬斎さんが演出する舞台『ハムレット』は本日から始まります。






汐留シオサイトでは5日(日)から「東日本大震災風化防止イベント」が始まっています。

もう行かれた方もたくさんいらっしゃるでしょうね。
minmi様、情報ありがとうございます。









「いつまでも忘れない」ことも支援のひとつだと思います。

私も是非行きたいと思っています。



お読みいただきありがとうございました。

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2022年10月01日

感動的なインタビュー




昨日は突然のアイスショー開催のお知らせと、TwitterとInstagramの開設に驚きやら嬉しさやらで盛り上がっていましたが、今日は発売日に届いていた
フィギュアスケートLife Extra『Life on Ice 羽生結弦』を読んでいます。

年代順に追った構成も良く、写真のセレクトも素晴らしく、紙質は半ツヤで高級感もあり、とても気に入りました。


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私はとりあえず限定版の方を予約していたのですが、もう1冊通常版も購入したくなりました。




『永久保存版 2004‐2022 HISTORY』となっていますが、これは本当にその名に相応しい本だなと思いました。
 



フィギュアスケートLife 目次


インタビュー記事はどなたの記事も全て感動的でしたが、
とりわけ阿部奈々美コーチとジスラン・ブリアンコーチのインタビューは涙なしでは読めないような内容でした。


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阿部奈々美コーチのインタビューの中に、初めて知ったエピソードがありました。

それは『序奏とロンド・カプリチオーソ』にまつわるお話でした。

FSで『火の鳥』を滑って、ノービスの選手でありながら出場した全日本ジュニアで3位入賞となった次のシーズン、2008‐2009シーズンに、結弦くんは「ヴァイオリンの曲を使いたい」と言っていたのですが、奈々美先生に「あなたにはまだ早い」と言われていたそうです。

その曲は実は『序奏とロンド・カプリチオーソ』だったのです。

その当時、奈々美先生は、結弦くんにはヴァイオリン曲はまだ難しいと考えて、その結果選ばれたのがピアノ曲の『パガニーニの主題による狂詩曲』だったのだそうです。


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結弦くんはその時のことを忘れずにいて、現役最後のショートプログラムとして『序奏とロンド・カプリチオーソ』を選んだのではないのでしょうか。しかもピアノ曲にして。



ロンカプ




奈々美先生にも、あの時できなかった曲を、成長した今は素晴らしいレベルで演じられるようになったことを報告したいという意味も込めていたのかなと思いました。

『序奏とロンド・カプリチオーソ』は突然思いついた曲ではなく、十数年の間、結弦くんの心にしまってあった大切な曲だったのです。


ロンカプ ノーカット 1



ですから、アイスリンク仙台で、そのプログラムの完璧な演技ができたことは、結弦くんにとって、長年の想いを遂げられた嬉しい瞬間でもあったのだと思います。

ノーカット版序奏とロンド・カプリチオーソ⇒(437) 【羽生結弦】ノーカット版「ロンカプ」プロ転向後テレビ初演技 Yuzuru Hanyu / “Introduction and Rondo Capriccioso” on TV in Aug 2022 - YouTube





もう一つ、『ホワイトレジェンド』にまつわるお話もありました。

奈々美先生が大学4年生の時に出場した最後の全日本選手権は、大震災後に神戸のチャリティ演技会が行われたリンクだったのだそうです。
その全日本が終わって翌日仙台に帰ったら、その日に神戸で大地震があり、そのリンクも被災してしまったのです。

その同じリンクに、今度は仙台の大地震の後にコーチとして結弦くんに付き添い、スタンディングオベーションを受ける結弦くんを見て、鳥肌だつような感動を受けたというのです。


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このプログラムには、私たちの知らない物語が紡がれているようで、感動しました。


普段はあまり表面に出てこない奈々美先生のインタビューが6ページもあるというのが嬉しかったし、内容もとても濃いものでした。





ジスランコーチの『ユヅル、君が幸せなら僕も幸せだよ』というタイトルのインタビューでは、結弦くんとの信頼関係の強さがよく分かりました。
ジスランコーチが、結弦くんの自由な発想と選択を全面的に支持してサポートしてくださったことが分かりました。

特に平昌オリンピックの時、クリケットクラブでの直前の練習まで4回転ループに苦戦して取り組んでいた結弦くんに対するアドバイスには感動しました。
足も痛み、他の選手のことを気にかけて大荒れだった結弦くんに対して、こう言ったのです。


「君がコントロールできるのはユヅル・ハニュウだけだ。
ユヅル・ハニュウとして、ユヅル・ハニュウらしく、滑ることを考えろ。
そうすれば自分でも驚くようなことが起こるから」




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もしもジスランコーチがいてくれなかったら、平昌の結果にも響いていたのではないでしょうか。
それほど、テクニカルなジャンプコーチとして、また一方では心理的なメンターとして、優れたコーチなんだなと思いました。


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結弦くんからの信頼が厚いのも納得です。

そのジスランコーチのインタビュー最後の言葉が嬉しかったです。


ーありがとうございました。
日本に行く機会があって、羽生さんと練習できるのを祈っています。

「ええ、そういう計画になっています。そうなりますよ」



そうなると本当にいいですね。



後輩たちからのメッセージは、刑事くん、草太くん、光希くん、駿くんから。
皆、結弦くんをリスペクトしてくれるスケーターです。
刑事くんは後輩ではないですが同じプロスケーターとしての活躍を、そして3人の後輩には結弦くんのスケートを継承して欲しいですね。
応援しています。


このところ結弦くんの写真集や本が出版ラッシュですが、
フィギュアスケートLife Extra『18年間の秘蔵写真と独占インタビュー』
これは買うべき本の一つだと思いました。




10月3日の月曜日には結弦くんが表紙のAERAが発売されます。

蜷川実花さん撮影の写真とインタビューが楽しみですね。



ビスクドールのよう。


巻頭特集
羽生結弦とフィギュア

羽生結弦さんが表紙と独占インタビューに登場! 「スケートがあるから生きていると思える」

10月3日発売のAERA10月10-17日合併号は、プロスケーターとしてスタートを切った羽生結弦さんが表紙に加え、独占インタビューとグラビア全11ページに登場します。撮影は弊誌表紙フォトグラファーの蜷川実花。稀代のアーティスト二人のコラボレーションによる〝見たことのない羽生結弦〟をカメラが捉えました。今の率直な思いを語った独占ロングインタビューも必見です。


独占インタビュー プロとしてのスタート
スケートをやって、何かしら表現をして、苦しくて、つらくて、それがないと生きている心地がない/
みんなが幸せだから、自分も幸せ/プロになってファンの方々がついてきてくださるかめちゃくちゃ怖い


結弦くん、心配しないで。
みんな君についていくよ!



同じく月曜日に『フィギュアスケーターズ』も届きます。






そしてAERAプレミアム版『飛躍の原動力』は10月13日(木)です。



毎日が忙しいこの頃です。

追いかけているだけでも忙しいのに、何事にも全力で臨む結弦くんはどんなに多忙かと、ちょっと心配になります。



お読みいただきありがとうございました。

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withgoldenwings at 18:02|Permalink

2021年06月14日

奈々美先生のアシスタント?




今年の国別対抗戦のテーマ曲は1985年にアフリカの飢餓と貧困解消のために、

マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーによって作詞作曲された曲。

売上の全ての印税はチャリティとして寄付されました。


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その曲名を知って、結弦くんはとても喜んでいました。


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イントロを聞いただけで、すぐに『We Are The World』だと分かったようです。

マイケルの曲はかなり聴きこんでいるのかなと思いました。

SOIの『Blinding Lights』はマイケルのようでしたね。



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振り付けを担当するのは、アイスリンク仙台の阿部奈々美コーチ。

今年だけでなく、国別対抗戦のグループナンバーはいつも阿部奈々美コーチが担当していますね。


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奈々美先生と打合せする結弦くん。

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奈々美先生は自分も実際に滑りながら振付指導するんですね。



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結弦くんの意見も聞きながら、その場で手直ししていきます。


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今年はロシアチームと合同演技となり、奈々美先生がロシアチームの振り付けをする時にも、結弦くんは一人残って、演技の見本を示したりして全体をまとめるようにリードしていました。

その様子はまるで奈々美先生のアシスタントのよう。


子供のころから奈々美先生と一緒に練習してきた結弦くんには、奈々美先生がどんなことを求めているのかが直感的に理解できるんだろうな。


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その場面を会場で見ていた松岡さんがつぶやいていました。
「素晴らしい。羽生さんがロシア勢と心をひとつにしている」。



ところが演技直前になって、アクシデント発生。

紀平梨花選手の腰痛が悪化して、棄権することになってしまいます。


すぐに奈々美先生に指示をもらいに走る結弦くん。

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「奈々美先生探してくる」


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「奈々美先生に確認してきて、両方とも坂本さんが滑る」


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「だから俺たちは何も変えなくていい」


結弦くんが 奈々美先生のアシスタントのように働いている。


結弦くんは今、仙台の通いなれたアイリンのリンクで、奈々美先生はじめ、安心できる人たちに囲まれた幸せな環境の中で、4回転アクセルの練習に励めているのかな。


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「4回転半ってこういう軌道で、こういう回転数で降りるというのが見えてきたり、
こうやって勢いを出していくのだなって、
こうやって回転稼ぐのだなというのは見えてきた」


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「4回転半というものがイコール羽生結弦のジャンプだったとなれるくらい、
刻まれるくらいのアクセルを跳びたい」



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だから私は、
結弦くんが4回転アクセルに成功したら、
それは『4回転ハニュー』と呼んで欲しいと思っているのです。


結弦くんの願い、きっと叶いますように。



  最後までまでお読みいただきありがとうございました。

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withgoldenwings at 23:58|Permalink

2020年01月17日

奈々美先生と都築先生



SOIの出場が八戸と横浜と知って、それぞれの場所と強く結びついて思い出すのは阿部奈々美コーチと都築章一郎コーチのこと。


ロミオとジュリエット(アームストロング版)で、ニースの次に好きなのは、2014年の24時間TVでテクノルアイスパーク八戸のリンクで滑った時。


2014 24時間TV_Fotor_Fotor



節電のため照明を落としたこのリンクで、
窓から差し込む光だけで、世界選手権に向かって振付けし、練習している結弦くんと奈々美先生を想像するだけで涙腺が緩みます。







このリンクには、アイスリンク仙台で被災した時履いていたスケート靴が展示されているそうです。


テクノル八戸 3

拡大するとエッジがボロボロになっているのが判る。

テクノル八戸 2_Fotor

(<AZ思い描く演技を>さんのTwitterよりお借りしました)


いつか必ず見に行きたい。



そしてここからの結果としてのニース世界選手権。

Nice 4




ロミジュリ Nice 6


キス&クライに座る二人はジャパニーズビューティの見本のようでした。

奈々美先生の膝の上に収まる幸せなプーさん。




もう一つの場所は横浜。
そこには都築先生がいる。

震災の後、アイスリンク仙台が閉鎖されていた時、子供の頃奈々美先生の前に指導を受けていた都築先生がいる神奈川スケートリンク(現在は横浜銀行アイスアリーナ)で練習させていただいた。

だから、横浜にも特別な思いがある。


都築先生に会うと、結弦くんはたちまち小学生のようになってしまう。


全日本 都築先生 3_Fotor





その神奈川スケートリンクで、羽生結弦スケート教室が開かれたことがありましたね。

神奈川区制90周年記念のイベントとして行われました。

17 8 16 羽生先生 19_Fotor



17 8 16 羽生先生 カナコロ 8_Fotor


スケート教室の後は「花になれ」を滑りました。

17 8 16 神奈川イベント 4_Fotor_Fotor



一方、ハビは八戸で奇跡のレッスン。

いつかハビと一緒に奇跡のレッスンできるといいね。

19  オータムクラシック ハビと再会 4 読売

もし実現できたら、それは夢のレッスン。





都築先生の本は今日発売。これから買いに行きます。
読むのがたのしみ!




仙台、八戸、横浜は、結弦くんにとって、いつまでも特別な場所であり続けるのでしょう。



私の大きな夢は、仙台に結弦くんが練習したり、スケート教室を開いたり、
アイスショーもできるリンクができること。

その仮称は『仙台Wings』としておきます。


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写真はキャプチャーしたもの、撮影したもの、感謝してお借りしたものです。



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2019年04月22日

憧れの女性


荒川静香さん、羽生結弦選手、二人のオリンピック金メダリストを輩出したアイスリンクリンク仙台。

アイスリンク仙台 1


アイスリンク仙台 2


今や聖地となっていますね。

そんなアイスリンク仙台の阿部奈々美コーチのインタビューです。



アイスリンク仙台から世界へ。
阿部奈々美コーチインタビュー

奈々美先生 インタビュー 1


日本のフィギュアスケート発祥の地、仙台。異国人によって伝えられたのは19世紀の終わり頃といわれています。
100年を超える歴史の中でスケートは市民に愛され、その文化を醸成し、世界に誇るトップスケーター達がこの街から世界へと羽ばたきました。その陰には、原石を磨き上げた指導者たちの存在があります。
荒川静香さんらスター選手を支えてきた阿部奈々美さんは、仙台出身。地元のフィギュアスケート発展への思いを聞きました。

<仙台フィギュア事情の変遷と、オリンピック選手の誕生>

——仙台のフィギュア事情はどのように変遷してきたのでしょうか。

40年ほど前は今より多くのリンクがありました。県内で5、6ヵ所はあったと思います。私の実家の近くにもあり、先に習い始めた兄や姉についていくうちにいつのまにかスケート靴を履いていました。母からは「3歳前には氷の上に立っていて驚いた」と聞かされました(笑)。
小学校時代はフィギュアを習っている友達も多かったですね。1988年、泉区にできたリンクがアイスリンク仙台の前身。荒川静香さんも羽生結弦選手もここから巣立っていきました。


<「聖地・仙台」でスケートをするということ>

一方で仙台は、驚くべきことに、1つの民間リンクから2人ものオリンピック金メダリストが生まれています。日本中を探してもそんな街は他にない。私たちの誇りです。

奈々美先生 インタビュー 4


——仙台はまさに「聖地」! アイスリンク仙台は「伝説のリンク」ですね。

そう。荒川さんや羽生選手が育った同じリンクで滑る感動や、「いつか自分も」という強いモチベーションは、仙台で練習する選手だけが抱くことのできる宝物です。
アイスリンク仙台では、4つのクラブが活動しています。大学を中心に展開する名古屋・大阪と違い、幼少時代から一貫して地元のクラブでトレーニングできるという強みがありますね。また、選手育成に大変理解が深く、惜しみなく協力してくれるリンクですので、選手にとっては恵まれた環境です。


全文はこちらから



羽生選手がクリケットクラブに移るまで、アイスリンク仙台でコーチとして指導していた奈々美先生は凛とした佇まいが美しく、憧れてしまいます。


何度かアイスリンク仙台を訪れた時も、リンクの上に奈々美先生がいるのではないかと探してしまいました。

残念ながら、まだお姿を拝見したことはありませんが、いまも毎日リンクで指導に当たっていらっしゃるのですね。



羽生選手が世界に羽ばたくきっかけとなった『ロミオとジュリエット』をはじめ、数々の羽生選手のプログラムの振付も担当し、今日の羽生選手の基礎を創って下さった功績は計り知れないと思います。



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2011年 全日本の初めての銅メダルを奈々美先生に掛ける羽生選手



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そしてニースの世界選手権へ SP『悲愴』のキス&クライで


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2012年 ニース世界選手権 FS『ロミオとジュリエット』演技直前



長いインタビューですが、是非全文をお読みください。
奈々美先生の温かいお人柄
とフィギュアスケートへの情熱が感じられます。




インタビューは3月20日付けとなっていますが、仙台に帰省中の羽生選手は恩師と再会できたのかな。

そうだといいな。



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写真はキャプチャーしたものと感謝してお借りしたものです。


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