日中国交正常化50周年記念慶典
2022年10月05日
結弦くんの言葉より
一日遅れで届いた『羽生結弦語録 Ⅱ』
表紙の写真、大好きです。
北京の『天と地と』のフィニッシュ、羽生選手は時間をかけてゆっくりと天に伸ばした腕を降ろしました。
その何秒かの時間は実際よりも長く感じられました。
万感の思いを込めて、天に向かって「ありがとう」と言っているようでした。
それは、一瞬でもあり、永遠でもあるような、そんな時間でした。
私はあのシーンを一生忘れないでしょう。
お気に入りの言葉をいくつか。
自分で自分を見るのではなく
相手を通して
自分を見ることによって
課題が見つかるのではないか
「今を貫け」というふうに
自分宛てに言葉をだしました
何ができるんだろう
何をしたらいいんだろう
何が自分の役割なんだろう
僕はあのジャンプ(正しいジャンプ)しかできないし
だから、絶対に、思い切り跳んで
思い切り高いアクセルで
思い切り早く締めて
ということを追及しました
今回、大人になって
人生って報われることが
全てじゃないんだなあと。
ただ、報われなかった今は
報われなかった今で
幸せだな
羽生結弦という存在に
恥じないように
生きてきたつもりですし
これからも羽生結弦として
生きていきたい
どの言葉も自分置き換えれば、誰もが経験する困難に立ち向かうとき、大きな勇気をもらえそうです。
北京での経験が結弦くんに大きな影響を与えたことが垣間見える言葉もたくさんありました。
中国の人々が結弦くんを心からリスペクトしてくださり、結弦くんの存在そのものを愛してくださったことは、結弦くんにとって、一生忘れられないことになったと思います。
結弦くんが、先日の日中国交正常化50周年記念慶典に出席を決めたのも、そのことが大きな背景、きっかけとなっていたように思います。
実は昨日、結弦くんのそのイベント参加を非難するツイートを複数目にしてしました。
予想されていたこととはいえ、実際目にすると、ああやっぱりこういうことを言う人々もいるんだと思い、辛い気持ちになりました。
一国の政権が行う政治が、必ずしもいつも正しいとは限りません。
中国しかり、日本しかり、アメリカしかり、ロシアもいうまでもありません。
しかし、時の政権は永遠に続くわけではありません。
いずれ終わる時が来て、歴史の中で、その評価は下されていくことでしょう。
しかし、一国の政治体制と、そこに住む人々とは、別々に考えなければいけないのではないでしょうか。
中国政府の行っている政治と、中国の人々の誠意を同じ土俵の上で論じることは乱暴すぎます。
日本と中国の長い交流の歴史の中にも、誰もが知るように不幸な時代もありました。
しかし、1972年の国交正常化以来50年間、紆余曲折はありながらも両国間の平和は保たれ、今に至っています。
これからの50年、100年を見据えた中で、中国の多くの人々に日本という国のイメージを大きく好転させた「羽生結弦」の存在は貴重です。
聡明な結弦くんは、おそらく批判されるだろうことも全て考えたうえで、敢えてこの式典に参加することを決断したのでしょう。
人々の心の中に、相手の国に尊敬する人、愛する人が一人でもいるというのは、外交的側面から考えても、大きな意味があります。
結弦くんの決断と勇気と愛に、心からの拍手を送りたいと思います。
この度式典中羽生結弦さんに花束を差し上げた女の子の父です。ご参加させて頂いて、大変嬉しいことだと思います。今後も日中友好に精一杯頑張りたいと思います。宜しくお願いいたします。 pic.twitter.com/67RTYBfaOM
— kyon (@kyon09171982) October 2, 2022
女の子とご家族にとって、きっと一生の宝物になりますね。
お読みいただきありがとうございました。
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