平和の祭典オリンピック
2019年09月15日
スポーツと国旗あるいは国家
オータムクラシック表彰式では国旗の掲揚はなかったようですね。
その代わりに選手の後方に国旗が立てられていましたね。
正に国を背負った格好 ?
日本人をルーツに持つというカナダのキーガン・メッシング選手、優しい方なんですね。
羽生選手へのリスペクトを感じます。
しかし、私は以前からオリンピックをはじめとして、全てのスポーツのイベントから国旗の掲揚と国歌の演奏は外してほしいと考えています。
全てのアスリートは個人として、又はチームとして讃えらるべきで、そこに彼らが所属する国家を持ち込むことは、むしろ不純だと考えています。
仮に世界的レベルのアスリートの育成に国家のサポートが必要であったとしても、それは、あくまでも副次的なものであり、表面に出るべきものではないと思います。
それはたとえ家族のサポートが大きな力を持っていたとしても、表面には出ないことと同じです。
現代では、アスリートの宗教、思想、政治的立場、性的特質などによって差別されることがないのと同様に、国家的所属を表彰式の場で示すことは必要もないし、やがてはなくなるべきと考えています。
そうなることにより、「国を背負って」、とか、「国旗にかけて」とか、物々しく意味のない気負いやプレッシャーからも自由になり、アスリートは今よりも純粋な気持ちで競技に対峙することができるのではないでしょうか。
そしてスポーツの場を国威発揚の場にするなどという、時代錯誤的な考え方もなくなって欲しいものです。
古代オリンピックでは、ポリス(都市国家)間の戦争中であっても、 オリンピックの期間は休戦して競技を行い、勝者に与えられるのはオリーブの冠のみだったということです。
だから今でもオリンピックは「平和の祭典」と呼ばれます。
やがてそれが実現することを願いつつ、また予感しつつ、オータムクラシックの表彰式を見ていました。
元より、それは羽生選手やメッシング選手の行いを批判するでも、非難するでもなく、スポーツがもっと国家から自由になる、そんな時代がいつの日か来て欲しいという純粋な願いです。
ただそこにいるだけで美しいのだから。
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