三人の天才

2018年09月04日

三人の天才☆ミドルネームはアマデウス


この記事にはYOUTUBE動画が9本含まれています。
お時間のある時に見ていただけたら嬉しいです。
      

私が羽生選手のファンとして、フィギュアスケートをそれなりに熱心に見始める前は、テレビ放映されるオリンピックと世界選手権くらいは見るという程度の、ごく軽いフィギュアスケートファンでした。
特に誰を応援しているということもなく、その時々の素晴らしい演技を見て楽しんでいただけでした。


そんなフィギュアスケートライトファンの私でしたが、素直に『天才』という二文字が受け入れられたのは三人だけです。

アレクセイ・ヤグディン、エフゲニー・プルシェンコ、そして羽生結弦です。


羽生選手も事あるごとに言及している2002年ソルトレイクシティオリンピック。
この頃は、ヤグディンとプルシェンコという二人の天才が競い合っていた時代ですが、
やはり2002年のヤグディンは圧巻でした。
SPの『ウインター』、FSの『仮面の男』、共にパーフェクトな演技で金メダルを獲得。

ヤグディン プルシェンコ
プルシェンコ19歳、ヤグディン21歳


このときプルシェンコはSP冒頭で転倒し銀メダルとなりました。

当時はヤグディンが『王者』と呼ばれていたのでした。


2002ソルトレイクシティ五輪 SP 『ウインター』


このプログラム大好きなのですが、今年のFaOIで滑った『春よ、来い』で、羽生選手が氷のかけらを空中にまき散らすのを見て、即座にこの時のヤグディンを思い出しました。
羽生選手も研究し尽くしているはずのこのプログラムから取り入れてくれたのかなと思って嬉しくなりました。それもContinueだなと思ったのでした。


2002ソルトレイクシティ五輪 FS『仮面の男』


アレクサンドル・デュマ原作の鉄仮面伝説をテーマにしたプログラム。
私は当時この衣装にちょっとショックを受けましたね。


2002ソルトレイクシティ五輪 EX『オーバーカム』


羽生選手の練習着と同じく黒の半そでに黒手袋で演じるこのEXも大好きです。
いつか羽生選手にもこんな衣装でエキシプロを滑ってほしい。


ヤグディンはこのシーズン、GPF、オリンピック、世界選手権(長野)と史上初のフィギュアスケート三冠を制覇しました。

二人目の三冠達成は、言わずと知れた羽生選手ですね。
ヤグディンはまた、17歳で世界選手権初出場で銅メダルを取ったことでも羽生選手と重なります。


元々ヤグディンとプルシェンコは同じミーシンコーチの元にいて、2歳年上のヤグディンは兄弟子でした。
ちょうどオーサーコーチ門下のハビエル・フェルナンデス選手と羽生選手のような関係です。


プルシェンコ ミーシン

しかしヤグディンとミーシンコーチの関係がうまくいかなくなり、1998年にはヤグディンはタラソワコーチの元に移ってしまいます。

ヤグディン 2002



両雄並び立たずと言われますが、このようにトップ選手が同じコーチの元ではなかなかうまくいかないのが普通ですね。
それを考えると改めてユヅーハビの関係が奇跡的なものに思えます。


18-2-17  グリーンルーム



五輪サングラス 2_Fotor




残念なことにその後ヤグディンは股関節を痛めて2003年に現役を引退してしまいました。




ヤグディン引退後、プルシェンコは2003年、2004年の世界選手権も制し、次のオリンピック2006年トリノではSP、FP共に1位となり金メダルを獲得します。
そして次第に『ロシアの皇帝プルシェンコ』と呼ばれるようになります。


2006トリノ五輪 SP 『トスカ』



2006 トリノ五輪 FS『ゴッドファーザー』



2006トリノ五輪 EX『トスカ』生演奏+『カルーゾ』


このEXではエドウィン・マートンさんのバイオリンの氷上生演奏が素晴らしかったです。

開催地トリノに合わせて、プルシェンコの全てのプログラムがイタリア関連でしたね。



選手時代は色々な軋轢のあったヤグディンとプルシェンコでしたが、2014年のソチオリンピックの前には、「プルシェンコはソチでの唯一の希望」とコメントしています。
今では同じイベントに出席するくらい関係は修復されているようです。
自伝の中でエフゲニーのことを人間的に嫌だと思ったことは一度もないと書いていて、
現役中はコーチや周りの環境の中で遠ざかってしまったのではないでしょうか。

ヤグディン プルシェンコ 2



アレクセイ・ヤグディン自伝『オーバーカム』
ロシアのスケート事情や、ミーシンコーチ、タラソワコーチ、プルシェンコとの関係、生い立ちなど、大変興味深い内容です。写真も沢山収録されていて大変面白く、一気読みしてしまいました。


    


三人目の天才、羽生結弦がプルシェンコと初めて会ったのは2009年のアイスショーで、その際「俺を倒したらお前の時代だよ」と言われたそうです。

仲間たち 4


そして2014年ソチオリンピックで金メダルを取ることになります。

2014 ソチ 練習 1




続いて2018年平昌オリンピックでディック・バトン以来66年目となるオリンピック2連覇を成し遂げたのはつい半年ほど前のことですね。

18-2-17 メダルセレモニー 4_Fotor



最早、目に焼き付いているくらい繰り返し見た映像ですが、比較のために置いておきます。


2018 平昌五輪 SP『バラード第1番』


何度見てもため息の出る美しさ。
この繊細さ、エレガンスはヤグディンにもプルシェンコにも無いもの。


2018 平昌五輪 FS『SEIMEI』



世界的に知られているわけではない日本の歴史上の人物をテーマとし、日本の楽曲を使い、日本的な衣装で演じられたプログラムが世界中で絶賛されるという快挙でした。
間違いなく羽生選手の代表的作としてフィギュア史に残るプログラムだと思います。


2018 平昌五輪 EX『ノッテ・ステッラータ』


タラソワコーチが羽生選手にと、ご指名で贈ってくれたこの曲は、至上のEXプログラムとなりました。私にとっても過去最高に好きと言ってもよいくらいのプログラムです。

かつて最盛期のヤグディンのコーチをしていたタラソワさんは、羽生選手の中にも同様の天才を見ていたのかもしれません。

タラソワ



かつて羽生選手のヒーローだったプルシェンコは、今や羽生選手を「僕のヒーロー」とまで言い、ヤグディンからもまた平昌オリンピック後に羽生選手を称えるコメントがありました。
そしてタラソワコーチ、ミーシンコーチからも高く評価されています。



こうして三人の天才の9つのプログラムを観ると、いずれも宝石のような珠玉のプログラム。

この時代に現れた天才スケーターと共に時を刻んでいけることに心から感謝し、嬉しく思っています。



羽生選手は先日の公開練習の会見での一問一答で、次のように語っています。

―何回くらい映像を見ている?

 「いやあ…ぼくほんっとうに、ええと、中学生くらいまでですかね、本当に他の人の演技ってあんまり見ないタイプで。自分のスケートもそんなに見てないんですけど(笑い)。ただ、プルシェンコさんとジョニー・ウィアーさんの演技は本当に何回でも見れていましたし、なんていうんだろう、むしろ、彼らの演技とアレクセイ・ヤグディンさんと本田さん以外はほぼ見ていないんじゃないかなっていうくらい(笑い)。ですね。はい」

18-9-2 SPARK 11

天才は天才を知るってことですね。



今シーズンは、SPでジョニー・ウィアーに捧げる『秋によせて』、FPでプルシェンコに捧げる『Origin』、そしてEXでは秘かにヤグディンに捧げる『春よ、来い』を見られそうです。


我らが天才、羽生選手には「神に愛されし者」として、謹んで "Yuzuru Amadeus Hanyu” という名を献呈したいと思います。



*動画が見れないときはタイトルをタップしていただくとYOUTUBEに移動します。

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