2023年06月13日
ダムパリの歴史を振り返る
メンバーシップ限定で公開された『ノートルダム・ド・パリ』を何度も繰り返し観ています。
何度観てもその美しいスケートに魅了されます。
今日より前に、羽生結弦の「ノートルダム・ド・パリ」のベストバージョンが2012年のフィンランディア・トロフィーで滑られた。
2か月後、最初のトリプルアクセルは後半に移され、12月下旬、羽生はシニア初の全日本タイトルを獲得した。
10年以上を経て、日本チャンピオンは怪我や病気のために後半に2本のトリプルアクセルを入れたバージョンでは完遂できなかったプログラムを完璧に滑り切った。
見逃せないもう一つの絶対的な傑作。
(マッシさんのツイートより)
『ノートルダム・ド・パリ』は、結弦くんがカナダに渡って初めて取り組んだフリープログラムでした。振付はデイヴィッド・ウィルソンさん。
結弦くんは最初は『オペラ座の怪人』を希望していたそうですが、結局『ノートルダム・ド・パリ』になったといういきさつがありました。
このプログラムを滑ったいくつかの試合を思い出します。
最初はマッシさんが指摘したフィンランディアトロフィーでの羽生選手の演技です。
◆2012年 フィンランディア杯
(マッシさんのツイートより)
『ノートルダム・ド・パリ』は、結弦くんがカナダに渡って初めて取り組んだフリープログラムでした。振付はデイヴィッド・ウィルソンさん。
結弦くんは最初は『オペラ座の怪人』を希望していたそうですが、結局『ノートルダム・ド・パリ』になったといういきさつがありました。
このプログラムを滑ったいくつかの試合を思い出します。
最初はマッシさんが指摘したフィンランディアトロフィーでの羽生選手の演技です。
◆2012年 フィンランディア杯
滑り終わると氷の上に倒れ込むほど、体力の限界まで出し切って滑りました。
スケーターなのに、ただ一人製氷作業のお手伝いをするのは結弦くんにとっては自然な行為でした。
4回転トーループと4回転サルコウを成功させて、シーズン初戦で見事優勝しました。

◆2012年 NHK杯
2012年のNHK杯は今でもよく覚えています。
カナダに拠点を移してから初めての日本での試合でした。
会場は仙台のセキスイハイムスーパーアリーナ。
今年の『notte stellata』と同じ場所でした。
まだこのプログラムを滑るのに体力不足だったのか、最後のスピンでは失速して転倒してしまうなど、観ていてハラハラしました。

でも、滑り終わった瞬間のこの可愛い笑顔。
失敗があっても、そんなことを忘れさせてしまう術を持っているようでした。
優勝が決まって、結弦くんの腕を挙げようとするブライアン。
インタビューの時の結弦くんは嬉しさを噛みしめているようでした・

故郷の仙台の地で、カナダでの練習の成果を見せることができて、本当に嬉しそう。

そして迎えた運命の全日本選手権です。
◆2012年 全日本選手権
NHK杯では優勝したもの、2012年のGPFではT先輩に次ぐ2位に終わっていました。
そしてこの全日本で、T先輩に勝って、全日本選手権初優勝をしたのです。
この時以来、2度とT先輩に負けることはありませんでした。
羽生結弦の時代が始まりました。
『ノートルダム・ド・パリ』は、羽生結弦時代を切り開いたプログラムでもありました。
◆2013年 世界選手権
昨日の記事に書いたように、この時の結弦くんはインフルエンザから回復したばかりの上、左ひざの故障、右足首捻挫という満身創痍の状態でした。
全日本チャンピオンとして、翌年のソチオリンピックの枠をかけた大切な試合。
その責任を果たすため、痛みを抱えたまま全力を尽くした演技をして、終わった瞬間には氷の上に倒れ込んでしまいました。
しかし、ユーロスポーツの解説者は、既に結弦くんのことを「天才」と見抜いていましたね!
こうして過去の『ノートルダム・ド・パリ』を振り返ってから、再びメンバーシップの動画を観ると、
如何に結弦くんが進化したのかよく分かります。
特に私が好きなのは最後のポーズの美しさ。
立ち姿があれほど美しいのは結弦くんだけ。
振付したデイヴィッドさん、あの動画を観て、どんなにか嬉しいでしょうね。
あの時、結弦くんの涙をぬぐってくれたデイヴィッドさん、ありがとう。
さて、話はガラリと変わりますが、ISUの財政問題を東スポが記事にしてくれました。
#羽生結弦 競技引退でISU収入に大打撃「この問題をさらに深刻にしている」|東スポWEB https://t.co/NBH4KQUVYK
— 東スポ (@tospo_prores) June 11, 2023
本当に、何を今更ぼやいているのでしょうか。
あれほど結弦くんを虐めておいて、よく言えるものだと呆れました。
一体何を目的に結弦くんを追い出そうとしていたのでしょうか。
ISUもそうですが、日本スケート連盟もそれに忖度したのか、ことあるごとに結弦くんに酷い対応をしていました。結局はその元をたどれば、アメリカのスケ連に対する忖度だったのではないかと私は思っています。
勝たせたかったアメリカの選手は、北京の金メダルと共に姿を見せなくなってしまいましたが、今後はどうなるのでしょうね。
現在の競技スケーターの中に、結弦くんを凌駕するスケーターは一人も見当たらないので、ISUの経済事情は先細りとなることは確実だと思います。
その内に財政的にデフォルトとなってしまうかもしれないですね。
お読みいただきありがとうございました。
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withgoldenwings at 01:14│羽生結弦




