2022年11月17日
最後のNHK杯2019
明日からNHK杯が始まりますね。
羽生選手不在のNHK杯に気を取られることは全くないのですが、どうしても過去のNHK杯のことを思い出してしまいます。
昨日、毎日新聞のfigure-eyeに公開された、貝塚カメラマンのコラムを読ませていただきました。
>>写真はたしかに事実を記録する。だが、撮影者の心も不思議と投影されると感じてならない。
— 倉沢 仁志(毎日新聞)/Hitoshi KURASAWA (@hitkurasawa) November 16, 2022
昨日、貝塚さん @taichi_kaizuka さんからコラムを見せてもらった時に一番唸ったのがこの一文でした。フォトグラファーだから、でないと、書けないと思いました。https://t.co/hCOPIx6RzB
写真はたしかに事実を記録する。だが、撮影者の心も不思議と投影されると感じてならない。その一瞬に感情が入り、引き込まれながら撮った写真には別の力が宿り、後々見返したときにも異質の存在感を放つ。フリーの演技を終えた後のこの動きはずっと心に残っていた。
即座にこの写真を送ったが、表彰式や会見などの取材に追われ、何をしていたのか分かったのは帰宅後だった。撮影データを確認していると、演技を終えた足元の先に小さな小さな黒い点があった。拡大するとそれは虫だった。演技の直後、余韻が渦巻くリンクでその点に気付き、「氷上の虫」を助けてあげようと手のひらに乗せたのだ。
羽生選手は演技をする自分自身の見え方を360度、どの位置からも意識していると、撮った写真を振り返る度に感じる。リンク全体から自身をふかんできるからこそ、氷上の小さな小さな生き物に気付くミクロ的な視点まで併せ持てるのかもしれない。
(右手だけ握っているのは、虫を掴んだまま挨拶していたんですね。)
何か同じような感覚を以前に歴史書で読んだ記憶があった。
宮本武蔵の五輪書にその一文があった。「観の目つよく、見の目よわく、遠きところを近く見、近きところを遠く見る事、兵法の専なり」
あのNHK杯から3年。プロ転向した羽生選手を追っていると、人の心や物事の深層を観(み)る目、遠近が合わさったこの「観の目」を感じる。先日横浜で開催された初公演のプロローグでも、リンクに来られない世界中のファンの心理から、会場に来ている一人一人の心にまで気を配る、広くてこまやかな思いにあふれていたからだ。
「羽生結弦」が見る世界。そこへの興味と敬意と魅力は撮影者として尽きない。【貝塚太一】
貝塚さんが宮本武蔵を引用しているのは意外に感じましたが、
確かに、目の前のことを見ることよりも、もっと大きな視野と展望を持って、俯瞰的に物事を観るという視点は、結弦くんから感じ取ることができます。
あれから3年が過ぎ、結弦くんはもう競技の場にはいないけれど、
今年もまたNHK杯に出場する、山本草太選手を応援したいと思います。
でも、もう、こんな風景は二度と見られないんですね…
結弦くんの最後のNHK杯、美しかった。
結弦くん、ありがとう。
お読みいただきありがとうございました。
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