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2022年11月16日

GOATは黒いヤギだった




中国のポータルサイト 百度に掲載されたコラムニストの記事を読みました。

今年2月の北京五輪後に、羽生さんがインタビューで繰り返し「9歳のころの自分」に言及したことを挙げ、「ひたむきで勇敢でわがままで負けず嫌い。9歳の時も、27歳になってからも、彼はずっと一人で夢を追いかけてきた人だ」とした。

その上で、「五輪から9カ月、競技場を離れたがリンクを離れなかった彼は、夢を追う人から夢をつくる人に変わった」とし、11月4日に初公演を迎えた単独アイスショー「プロローグ」について「自身のフィギュア人生の第2幕の幕開けとして、とてもふさわしかった」と述べた。

そして、「このアイスショーはきっと素晴らしいものになると多くの人が思っていたが、ここまで素晴らしいとは誰も想像できなかった。究極のロマンチストである羽生結弦がファンのためにつくり上げたのは、単なるアイスショーではなかった。究極的にロマンチックな現実世界の夢だったのだ」と評した。

続けて、「ライトを全開にしての6分間練習、競技と同じアナウンス、ほぼ試合通りのジャンプ構成。こんなアイスショーを見たことがあるだろうか。28歳目前の羽生のビールマンスピンを3度も見られるなんて」とし、「これはまさに夢でしかない。あの時の衣装を着た羽生結弦が滑り出した。すべてが変わったのに、すべてが変わっていなかった。それは最初から今に至るまで延々と続く感動だ」とした。

文章は、羽生さんが自身で振り付けを担当した新プログラム「いつか終わる夢」に言及し、「魂を込めて舞うと、氷にも魂が宿る。彼自身がいつも言っている『羽生結弦らしい滑りをしたい』という言葉の意味が分かるだろう。それは伝統的なフィギュアスケートとは全く違う、真に技術と芸術を組み合わせた表現の形。アイスショーの最後に誰もが涙したVTRのように、彼は子どものころから夢を追いかけて、転んで傷ついては立ち上がり、傷だらけになっても物語は続いてきた」とした。

その上で、「必死に夢を追いかけていたその少年は、無数の人のために夢をつくるフィギュアスケートの神になった」「でも夢を追いかける時も、夢をつくる時も、やはり彼は彼だ」とし、羽生さんの「たとえ報われない努力だったとしても、僕の歩んできた道のりが、無駄だったとしても。僕なんかのスケートを観てくださって、幸せを感じてくださったのなら、これ以上ないくらい、報われています。僕は、幸せです」とのメッセージを紹介。

そして、「幸せだという、そんな彼を見守ることができる幸運に恵まれた私たちは、もっと幸せなのではないだろうか」と結んだ。
(翻訳・編集/北田


「ひたむきで勇敢でわがままで負けず嫌い」本当にそうだなと思いました。

そして人一倍繊細で優しい人でもあります。


9歳の頃からの自分の夢を、こんなにも長い間ひたむきに追いかけ続けられたのは、いい意味でわがままを貫き通せる力があったからだと思います。
わがままという表現は否定的な意味合いで使われることが多いのですが、何かを貫くには絶対に必要なことでもあります。
私はわがままな人は好きです。自分の意思を貫く分、他人のわがままも許してくれるから。他人の意思に対して寛容になれる人でもあります。

逆に言えば、自分を大切にできない人は、人に対しても優しくなれないのでは、と思うことも多々あります。

結弦くんが人に対して優しいのは、自分を大切にしているからこそ。

これからもずっと、「ひたむきで勇敢でわがままで負けず嫌い」そして繊細で優しい人であってほしい。

結弦くんのわがまま大歓迎です。

プロローグ 朝日 3





そしてもう一つ、結弦くんの強い意志を称える記事を書いてくださったのはNympheaさんです。




一部だけ抜粋してご紹介させていただきます。


衝撃的だったプロローグ横浜公演の内容を振り返りながら、改めて思います。

「ああ、羽生結弦はスケート村を完全に卒業したのだ」

正確には「卒業」というのは正しい表現ではないでしょう。実際には羽生結弦が村の色に染まったことは一度もなかったのだから。

日本のスポーツ界が狭い村社会なのは見ていて分かります。スポーツ界だけではないでしょう。私は音大出身ですが、音楽の世界でも門下や教授の派閥はありました。そして野球やサッカーに比べて競技人口が少なく、練習場所の数が限られているフィギュアスケート界はスポーツ村の中でもひと際狭くて窮屈そうという印象を受けます。

ノービスカテゴリーから日本スケート連盟の大会に出場していた羽生君は本当に幼い頃から村の中にいた訳ですが、本当の意味で村の一員になったことはなかったのではないかと私は思います。

幼い頃から羽生結弦は羽生結弦でした。何しろ4歳の時からオリンピックで金メダルを獲ると決めていたのだから。私はてっきり9歳頃だと思っていましたが、プロローグ初日のインタビューによれば、4歳で既に目標はオリンピック金メダルと定めていたと言うのです。

4歳ですよ?

私もかなりモチベーションの高い子供だったけれど、4歳の時は何を考えていただろう・・・全く思い出せない😅・・・

彼はスケート村の他のスケーター達とは違いました。高い志を持つ少年は、早い段階から明確な目標を定め、そこに目指してまっしぐらに進んでいきました。他のスケーター達と群れず、仲良しごっこにも加わらなかった。日本のフィギュアスケート界の二大派閥である関大や中京大ではなく、早稲田大学の通信教育課程に進学する道を選び、学業においても、より楽な腰掛学生ではなく、高いハードルを自らに課しました。妥協のない意識の高さ。個性より協調性が評価される村において、彼はその突出した才能と周りの色に染まらない個性故に常に浮いた存在だったのかもしれません。

スケート村における羽生結弦のような存在を、イタリアでは「Capra Nera~黒い山羊」と呼びます。

白い山羊の群れの中で、慣れ合いを好まず、己を貫く黒い山羊。群れの中で異端児と見なされる存在、羽生君は惑星ハニューの住人ですから、異端児ではなく異星人ですが。

しかし、だからといって他の選手達と仲良くない、他者に対するリスペクトがない、という意味ではありません。ライバル選手達が口を揃えて称賛しているように、彼ほど他選手や周りの関係者に心から敬意を払っているアスリートはいません。これほど圧倒的な実績を誇りながら、決して驕らず、明らかに格下の選手とも同じ目線で接し、まだほとんど実績のないシニアに上がりたての若手選手から学ぶことがあると言えるオープンな心と謙虚さを持ち合わせているのです。

フィギュアスケートという括りや枠を一気に飛び越えた今回の「プロローグ」は、羽生結弦のクリエイターとしての並外れた才能と無限の可能性を見せつけたイベントでした。

まだまだ記事は続きます。全文はこちらから是非お読みください。


結弦くんは過去の慣習や既成概念を勇敢に変えていけるゲームチェンジャーだということ、
全く同感です。

GOAT(Greatist Of All Time)と称される羽生結弦は、実はCapra Nera(Black Goat)だということ。

それゆえに黒い練習着が似合うのか???


22北京 EX 練習





さて、先日申し込んでいた17日の「スペシャル 羽生結弦の軌跡」のライブビューイングは、当たり前の
ように抽選外れていました。

11月13日に放送されていましたが、外出していて見逃してしまいました。
今日は再放送が2回あります。18日(金)、20日(日)にも。

11月16日(水)17:00~18:10(NHK BS8K)
11月16日(水)21:50~23:00(NHK BS4K)

11月18日(金)11:10~12:20(BS8K)

11月20日(日)16:00~17:10  (BS8K)


ソチ・ピョンチャン・北京3つのオリンピックそして2019年NHK杯フィギュア・・これまで8K中継で記録してきた羽生結弦選手の数々の演技をノーカットでお伝えする。

NHKがこれまで8K中継で記録してきた羽生結弦選手の演技をノーカットでお伝えする完全保存版!2014年ソチ、2018年ピョンチャンのオリンピック連覇、2019年NHK杯での優勝、そして今年2月の北京まで。演技だけでなく、その時々で見せる羽生選手の表情も併せてお楽しみ下さい。ソチ(SP、フリー)ピョンチャン(SP、フリー、エキシビジョン)NHK杯(SP、フリー)北京(SP、フリー、エキシビジョン)



しかし、NHK杯直前に、出場選手でもない羽生選手の特別番組を放送するとは、これ如何に?
とは思いますが、、、

集客力で羽生選手に勝るもの無し、と分かっていらっしゃるようですね。



お読みいただきありがとうございました。

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