2022年08月15日
War is Over
今日から始まったスポーツ報知の連載の1日目です。
本日の紙面原稿です。2ページ見開き写真とともに連載がスタートしました。3回です。ウェブは無料の会員サイトになります。#羽生結弦 さん「一緒に闘っていく」10万人と「Share」したプロ初の公開練習 連載「超越」1 : スポーツ報知 https://t.co/2VtidPTIHc
— スポーツ報知 ICELINK (@figure_hochi) August 15, 2022
「みなさんに、羽生結弦ってこういう練習をしてるんだとかって、フィギュアスケートって、すごい華やかなイメージがあると思うんですけど、その中でこんなに泥くさい、本当にもう、必死でもがいて練習している姿があるんだなっていうのを、ちょっと見ていただきたいなと思って。少しでも、スケートに興味ない方でも見ていただけるようにしたいなと思って、公開させていただきました」
7日に開設された公式チャンネルは、既に登録者数60万人を突破。「SharePractice」の視聴回数は、14日の時点で200万回を超えている。SNSのアカウントは一切、開設してこなかった。「自分のスケートに触れていただく機会を少しでも多く作りたい」との思いから、初めてファンと直接つながるツールを持った。
「自分の練習を見たいなって思ってくださる方もいらっしゃいますし、そういう中で、自分のアスリートらしさっていうか、根本的にある、さらに追求し続ける姿みたいなものを見ていただく機会になればいいなというふうに思って、こうやって練習を公開するというイベントを作ってみました」
プロとして初めての公開練習に、「SharePractice」というタイトルをつけたのは羽生さん自身だった。
練習をみんなとシェアしたいという羽生選手の想いそのままをタイトルにした「SharePractice」。
ShareとPracticeの間を半角空けなかったのは、新しい造語みたいにしたいという気持ちからだったそうです。「SharePractice」っていう一つの単語として定着しそうな気がします。
外国まで遠征して試合を見に行って、一番楽しみなのは羽生選手の練習を毎日たっぷり見られることでした。もう見られないと思っていたのに、10万人ものファンと練習をシェアするなんて、夢のようなことでした。
これからも年に何回かこんな機会を作っていただけたら嬉しいですね。
ここで羽生結弦選手の呼び方について書いておこうと思います。
結弦くんがプロになると宣言したと同時に、ほぼ全てのメディアは「羽生結弦さん」、「羽生さん」と呼ぶようになり、「羽生選手」とは呼ばれなくなってしまいました。
プロ野球やプロサッカー、プロゴルフ、プロテニス等、いずれも「○○選手」と呼ばれているのに、フィギュアスケートはなぜプロになったら「選手」ではなくなってしまうのでしょうか?
私は結弦くんがプロアスリートとして活動していくことを発表してからも「羽生選手」という呼称を使おうと思いますが、それは、SharePracticeで見せていただいたように、結弦くんは今もアスリートであることは明白なことであるし、広辞苑でも、「選手」とは「競技に出るために選ばれた人」と同時に、「職業としてスポーツをする人」とも定義されているので、やはりプロとしての「羽生選手」でいいのではないのかなと思うからです。
それと同時に、結弦くんを初めて知った時、彼は17歳で、「結弦くん」という呼び方が一番しっくりしていました。
自分の友人の場合でも、知り合ったときの呼び名が、どんなに歳月を経ても、社会的立場が変わっても、○○ちゃん、○○くん、というふうにずっと続いているので、やはり親しみを込めて「結弦くん」とも呼ばせてほしいなと思っています。
スポーツ報知の連載『超越』は明日、明後日と、3日間続きます。
高木さん個別取材の翌朝2時間動けなかったそうです。
全神経集中していたのでしょうね。
個別取材について。5分全集中翌朝は目覚めから2時間動けず。これを25回って、ほんっとーに大変だったと思います。報知は抱負に「超越」の2文字をもらいました。で、色紙を手に戻ってくる記者が多かったのですがそれぞれ違う言葉が。被らないように考えてくれたのでしょう。改めてすごいなと。#羽生結弦
— Megumi Takagi/高木恵(スポーツ報知) (@megdale1021) August 15, 2022
今日は8月15日、終戦記念日ですね。
77年前の今日、戦争が終わったのです。
戦争を実体験として知る人たちが少なくなる中で、当時のことを聴かせていただけるのは貴重な機会です。
黒柳徹子さんもそんな一人です。
徹子さんは今は淡々と語ってくださっていても、当時はどんなに辛かったことでしょう。
言うに言えない、書くに堪えないというほどの体験をなさった方も多くいらっしゃると思います、
戦争末期になると、東京や大阪など日本の大都市はもちろんのこと、地方の中小都市の多くも無差別爆撃によって大きな損害と犠牲者が出ました。
結弦君の大切な故郷、仙台も例外ではありませんでした。
1945年7月10日の爆撃によって焼け野原となった仙台市中心部(Wikipediaより)。
仙台市でも1,000名以上の犠牲者が出ました。
この写真、本当に信じられない光景です。右側の大通りはおそらく、あのパレードが行われた区役所に続く道だと思われます。
伊達政宗の霊廟である瑞鳳殿も焼失し、青葉城の大手門と脇櫓も破壊されました。
瑞鳳殿は国宝であり、仙台市の国宝としては、大崎八幡宮だけが残りました。
スポーツも芸術も学問も、全て平和あってこそ。
日本の77年間の平和を喜ぶとともに、これからも永遠に平和が続くよう祈ります。
そして一日も早く世界に戦争の無い日が訪れますように。
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