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2022年08月14日

単独インタビューはメディアの面接でもあった




SharePracticeにっは38社が参加し、その内個別取材をしたのは25社だったということですね。

朝日新聞の岩佐さんが書かれているように、結果として確かにこれは各メディアの「面接試験」のようでもありました。

中には羽生選手に好意的なメディアもあるし、必ずしも好意的ではないメディアもあり、フィギュアスケートに力を入れて報道してくれるメディア、またそうでないメディアもあります。

羽生選手と記者さんが1対1で向き合って、どんな質問をするのかによって、そのメディアの方向性やフィギュアスケートに関する知識や洞察力が問われるような真剣勝負だったでしょう。


各メディアは5分ずつでも、羽生選手は5分×25社で、125分のロングセッションを一人でこなしたわけですから、練習の終了後に、「ハー、これから地獄のインタビューがありますね」と言っていたのもうなずけます。 


その中から、今回は東京スポーツのインタビューを取り上げてみたいと思います。

インタビューした記者さんはフィギュア取材にかかわってからまだ日も浅く、鳥肌が立つほど緊張したそうです。



【取材の裏側 現場ノート】記者になって迎えた4度目の夏。こんな経験ができるなんて夢にも思わなかった。

 昨秋からサブ担当としてフィギュア取材に携わってきたものの、人事異動に伴って8月からメイン担当になった。「大丈夫かな」と不安の気持ちが募る中、プロに転向したフィギュアスケート男子五輪2連覇の羽生結弦(27)が10日、アイスリンク仙台(宮城・仙台市)で練習を公開する「SharePractice」を開催。いきなり大仕事を任され、仙台に足を運んだ。

 プロ転向後初めて、公の場で演技を披露。「自分の練習を見たいなって思ってくださる方もいるし、自分のアスリートらしさっていうか、根本的にあるさらに追求し続ける姿みたいなものを見ていただけたら」。7月19日の記者会見から約3週間。自問自答を繰り返しながらも前に進む姿は今も昔も変わっていなかった。

 約20分の囲み取材後には、報道各社に対して「個別インタビュー」の時間を設定。「地獄のインタビュー」と称する時間は、25社が5分ずつ、休憩も含めれば2時間半を超える異例のスケジュールだった。「これまで個別(取材)を受けることができなかったので無理やりやらせてくださいと。媒体各社さんの羽生結弦を書いていただけたら」。自らの意志で、各社の番記者と真正面から顔を合わせた。

 私はありがたいことに、さまざまな競技のトップ選手にインタビューを行う機会に恵まれてきた。一流選手の考えを聞ける時間は非常に楽しく、普段であればワクワクしていることが多い。しかし、この日は違った。今までにない緊張感が身体を襲った。「こんなに鳥肌って立つものなの?」。それでも、キリッとした羽生の表情を見た瞬間、自然とスイッチが入った。


こちらがそのインタビュー記事です。



唯一無二のスケーターの胸中とは――。フィギュアスケート男子で五輪2連覇を達成し、プロとしての活動をスタートさせた羽生結弦(27)が本紙の単独インタビューに応じた。7日に開設した自身のユーチューブチャンネル「HANYU YUZURU」は、早くも再生回数が合計500万回を突破。競技引退後も世界中から注目を集め続ける羽生が、フィギュア界の未来から理想とする人間像、自らが抱く信念などについて激白した。


東スポ


 ――維持費の高騰などの理由でリンクが年々減少し、子供たちが満足にスケートをできなくなっている


羽生 まあ、やっぱり難しいですよ、正直。フィギュアスケーターって本当に環境として難しいところもありますし、僕自身も中学生とか高校生の時にすごく練習の時間が短くて。それこそフィギュアスケートって曲をかけて練習しなきゃいけないんですけど、間違いなく、それができるのは本当に週に4回とか5回とかしかなくて、毎日できる状況ではなくなっていたんですよね。だから、そういう場所をこれからちょっとでも何か支援できるようなことをしていきたいなとは思っています。

――具体的にどんな支援をしていきたいのか

 羽生 具体的にはちょっと言えないですけど…。うーん、僕も練習を頑張っていかなきゃいけないので、そういうことを含めて、ちょっとでもみんなが練習をしやすい環境になったらいいなと思っています。言えないですけど、そこからは(笑い)。

 ――いつか自分でリンクを造りたいという思いはあるのか

 羽生 まあ、それはなしで、はい(笑い)。やっぱり正直難しいので、そんなに簡単にリンクって造れないですから…。だからそういうことも考えて、これからいろんなことを考えていきたいんですけど。ただ、僕は支援という形は、これからもしていきたいと思っています。


この部分、リンクを造るというお話が出ていますが、羽生選手は「それはなしで」と否定されています。
ただ、この部分、私は違う思いを抱きました。
確かに羽生選手が個人で自分のリンクを造るという意味では難しいというのは理解できます。
競技用の60m×30mの本格的なリンクを造るには何十億円という莫大な費用が掛かりますし、維持費も大きなものになるでしょう。ですから公的な援助がないとなかなか難しいのでしょう。

しかし、オリンピック2連覇を成し遂げることができるフィギュアスケート選手は、そう簡単には今後出てこないでしょう。
本来なら、日本スケート連盟が先頭に立って羽生結弦記念リンクの創設に動いてもいいほどなのに、これまでの行動からそれは所詮無理な話です。

では、例えば仙台市あるいは宮城県が支援する形で、「羽生結弦記念リンク」を造るというアイデアはあってもいいのではないでしょうか。それと同時に、羽生結弦の名を冠した賞の創設もしてほしいなと思います。プロ、アマ問わず参加できる「羽生結弦カップ」とか。


 ――フィギュア界のレベルを上げていくためには、裾野を広げていく必要もあると思うが、どう考えているか

羽生 正直、あまり考えていないというか。やっぱりうまくなりたい子って、ちゃんとうまくなろうとしますし、そんなに(競技)人口が増えたからといって、うまくなるとは限らないんですよね。それはすごく思っていて。だって野球(の競技)人口がめちゃくちゃ増えたから(米大リーグ・エンゼルスの)大谷(翔平)さんが出てきたのかっていうと、そんなことはないと思いますし。だから、やっぱりうまくなりたいって思う子がちゃんといるのであれば、そこにちゃんと自分が環境を求めながら動いていくべきだと思いますし、それは僕が言えることではないかなと思っています。


競技人口が多ければすそ野は広がるとは思うけれど、だからと言って才能のある選手が多く出てくるわけではない。
本気でやりたいと思ったら自主的に動いて道を切り開けというエールだと思います。
これまで羽生選手が実行してきたように。


 ――プロに転向しても頑張れる理由は、幼少期からうまくなりたいという思いがあるからか

 羽生 あとは、理想が高いからですかね。自分はこういうスケーターになりたいとか、このジャンプをこういうふうに跳びたいとか、もっと人とは違うことをしたいとか。そういうものは常に持っています。

 ――理想のスケーター像、そして40歳、50歳、さらにはおじいさんになったときに、どんな人間でいたいか

 羽生 常に自分を高め続けられる人間でいたいなって。世の中はいろいろ変わっていきますし、それに順応して自分自身も変わっていかなきゃいけないとは思うんですけど。でも、常に根本にある自分の信念は絶対に曲げないっていう、そういう人間であり続けたいなと思います。

 ――最後に今抱いている信念を教えてほしい

 羽生 うまくなる。自分はもちろんいろんな言葉を発したりはしますけど、でも実際はアスリートにすぎないですし。やっぱりスケートってすごくスポーツなので、そこを常に忘れないで強くなっていきたいなって思います。
(完)

自前リンク、スケーターの育成、理想のスケーターについての良い質問だったと思います。
特にリンク創設に件は、今すぐということではなくも、いつかは実現してほしいと思っています。

そしてまた、いつかはそれが実現するのではないかなと、信じたい気持ちでいます。



お読みいただきありがとうございました。

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