2022年05月15日
コロンブスの卵
このところ、イリヤ・マリニン選手の4A動画が大きな反響を呼んでいるようですねね。
これは5月3日の記事にあげたYouTube動画ですが、これとはまた別の時の動画でしょうか。
検証用
— U JF(ゆー) (@UJF59822151) May 13, 2022
1回目は引きオンリー
2回目はテイクオフ~ランディング部分をクローズアップ+×0.05速で調整したもの pic.twitter.com/naklrL8ppH
検証用
— U JF(ゆー) (@UJF59822151) May 13, 2022
例のジャンプ:別アングルらしいです
一回目:引きで通常速度
二回目:アップで×0.3速、テイクオフとランディング部分はさらにアップで×0.05速 pic.twitter.com/8CFoMVMIKC
場所は全て同じところのようですね。
うーん、私には4回転半は回ってはいないように見えます。
プレローテーションで半回転しているように見えますから、実際に回っているのは4回転くらい?
これに比べたら羽生選手の北京の4Aの方がはるかに完成度は高いと思います。
羽生結弦の誇りの4回転アクセル
— おうどん(元海辺の生き物) (@HIZtILmEGL1kd8I) February 14, 2022
8Kの最高画質で見ても何の瑕疵もありません
思う存分誇ってください#YuzuruHanyu pic.twitter.com/MKyUxHMj7o
マリニン選手は羽生選手とそっくりな衣装を着るほど、羽生選手をリスペクトもし、かなり意識していると思います。
この衣装も『Let Me Entertain You』を思わせますね。
羽生選手の挑戦が、10歳年下のマリニン選手の刺激になったとしたら、フィギュアスケート界全体の発展を願う羽生選手も喜んでくれるかもしれません。
こちらは本当に『SEIMEI』そっくりさんですね。
2018年の映像ですから13歳くらいでしょうか。才能ある選手であることは確かなようです。
しかし、最初にチャレンジするのと、その後を追って真似るのとは全く意味が違います。
よく「コロンブスの卵」と例えられますが、知ってしまえば当たり前で簡単なことのように思えることでも、最初に発見したり、最初にチャレンジするのはとても困難で、時として危険も伴う大変なことなのです。
余談ですが、ではなぜ最初に成し遂げることの困難さを『コロンブスの卵』と言うようになったのでしょうか。
◆『コロンブスの卵』の逸話
『コロンブスの卵』は、イタリアの探検家であるコロンブスが新大陸を発見した後に、スペインで貴族のパーティーに出席した際の出来事が由来だといわれています。
パーティーでコロンブスは「自国には優れた人材が豊富なので、あなたじゃなくても新大陸の発見は誰にでもできる」と中傷されました。そこでコロンブスは、置いてあった卵をテーブルに立てるように指示しましたが、中傷してきた誰にもできませんでした。
しかしコロンブスは、卵の尻をテーブルで潰して立てて、全員の前で卵を立てることに成功しました。新大陸の発見も卵と同じで、誰かが成功した後であればやり方は理解できるものの、最初に思い付いて実行することが重要で難しいことを説いたのです。
これには異説もあり、実はルネッサンス時代のイタリア・フィレンツェの建築家のフィリッポ・ブルネレスキの逸話だという説もあります。
この説は同時代の画家で建築家のジョルジョ・ヴァザーリが書き残したものです。ヴァザーリは同時代の芸術家たちのエピソードを集めて、『芸術家列伝』という著作を残しているので、こちらの方が信憑性は高いのではないかと思います。
ブルネレスキは、現在もフィレンツェのシンボルであるドゥオーモ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ(フィレンツェ大聖堂・花の聖母寺)の設計者です。
ブルネレスキはフィレンツェ大聖堂を建設するコンペの際に、巨大な二重構造のクーポラを築造する計画を、図面すら見せずに「私に建設を任せてください」と提案しました。他の建築家が猛反発したので、ブルネレスキは『卵を大理石の上に立てられた建築家に任せましょう』と提案しましたが、その場の誰も卵を立てられませんでした。
しかしブルネレスキは、卵の底を潰して大理石に立ててみせて、他の建築家は『そんな方法なんて知っていればできた』と批判しましたが、ブルネレスキは『その通り、最初にやるのが最も難しく、もし計画や図面を見せていれば、皆さんは真似をしていたでしょう』と発言し、コンペを勝ち取ったという説があります。
私はフィレンツェに住んでいたことがあるので、フィレンツェ大聖堂はとても身近に感じますが、この説は今回調べて初めて知りました。
そういえば、フィレンツェ大聖堂のクーポラは卵の下半分を伏せたような形をしていますね(笑)。
クーポラの頂上まで行くには、二重になった狭~い壁の間の階段をらせん状に登っていきます、
というわけで、羽生選手の4回転アクセルの初認定は、後から誰が跳んだとしても、その偉業は永久に記録されることなのです。
マリニン選手も頑張っていると思いますが、単にプレローテーションで4Aを1本単独で跳ぶことは、羽生選手のようにプログラムの中で音楽に溶け込ませて4Aを跳ぶことからは程遠いことです。
それは本人もよく分かっているのではないでしょうか。
足を痛めた羽生選手がこれからさらに4回転アクセルへの挑戦を続けるのかどうかは分かりません。
しかし、4Aの先陣を切った功績は永遠に残ります。
北京五輪名場面
— miruru💗 (@miruru1207yuzu) April 28, 2022
羽生結弦
4回転アクセルへの挑戦は世界中のファンを魅了 pic.twitter.com/oJstmBcvtZ
世界初の4回転アクセルを認定された瞬間の羽生結弦選手
— 🇯🇵ネコネコ🇯🇵 (@chack358) February 10, 2022
報われた瞬間です! pic.twitter.com/L3zSrdYNQo
4A認定を知った瞬間、羽生選手の顔がパッと輝きました。
この場面を見ると、今でもウルウルしてしまいます。
羽生選手が少しでも報われたと感じられたこと、本当に嬉しく思いました。
羽生選手もマリニン選手の動画を見たと思いますが、
今頃、「負けないっすよ、後輩くん!」なんてつぶやいているかもしれないですね。
お読みいただきありがとうございました。
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