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2022年03月03日

同時通訳の仕事




Twitterを読んで泣いてしまうということはまず無いのですが、このkuppyさんの訳してくださった記事には、思わず涙があふれてしまいました。

北京オリンピックでの羽生選手の単独記者会見で中英同時通訳を担当した25歳の中国人女性の記事です。

長い記事ですが、羽生選手に関する部分を抜粋させていただきました。

 


同時通訳 1

羽生結弦の記者会見の同時通訳者 李文瑨

 

これは平凡な物語だ。しかし、それほど平凡というわけでもない。

 

2月14日に羽生結弦のあの異例の会見が開かれるまで、中英同時通訳者の李文瑨は思ってもいなかった。こんなにも多くの人たちが「小さな黒い部屋」にいる彼女の声を聞くことになろうとは。彼女は、いささか落胆して失望した元気のない語気で訳した。羽生結弦が落胆して失望して元気なく言ったあの言葉を。「我还是想做4A。」(訳者注「4回転半降りたいなという気持ちはもちろん少なからずあって…」の部分かと思います。)

 

それは北京冬季オリンピックのメインプレスルームのメディア席の右側に並ぶ黒い小部屋。彼女は同僚と二人、その中の一つの部屋で中英同時通訳——八種類の言語の同時通訳のうちの一種類を担当していた。これまでのオリンピックでは同時通訳者が記者の視野に入ることはなかった。しかし北京冬季オリンピック組織委員会は小さな黒い部屋を会場に設置し、しかも窓を設けていた。

 

窓はかなり大きい。通訳者はそこから防音ガラスを通して、取材を受ける人の表情や身振り手振りをはっきりと見ることができる。それは情報と感情を構成する大切な要素だ。

       

北京冬季オリンピックのその集まりの、小さな黒い部屋の中の通訳者は世界の各地から来ていた。81歳のスイスのお爺さんもいれば60歳のイタリアのおばさんもいて、25歳の中国のお嬢さんもいる。李文瑨はそのお嬢さんだった。



この会見の本当に特殊な点が何なのか、多くの人は気づかなかっただろうが、李文瑨は始まってすぐに気づいた。彼女はこれまでに30回以上の各種の会見を経験してきた。アスリートの隣には通常、広報担当者が座る。ご承知のように、それは一見付き添いのようで、実はある意味護衛だ。しかし羽生結弦は一人で演台に上がった。隣には誰もいない。

 

演台には15の座席がある。羽生結弦はその中央に座った。孤独で、がらんとしている。まるで彼がリンクにいる時と同じだった。


同時通訳 2



「その時私は少し驚きました。それは冬季オリンピックの記者会見の中で、一番記者が多い会見であり、壇上にいる人が一番少ない会見でした。私は不意に感動を覚えました。羽生結弦の誠意を感じました。彼はまるで何の防御もせずに全ての人の前に出てきたかのようでした。」李文瑨は言った。


同時通訳者として、李文瑨はどうしても独自の視点からオリンピックを見ることになる。彼女が立ち会ってきたのは、アスリートが試合後に世界中のメディアと「やり合う」ところ。彼女は、アスリートの言葉の中に込められた感情、情報をできるだけ正確に伝えなければならない。それらの情報はおそらく全てのメディアに掲載されることになる。「人民日報」、「ニューヨークタイムズ」、「読売新聞」…


(中略:中国の
任子威選手、韓国のファン・デボン選手についての部分です。)


小さい頃から今まで、李文瑨は決してスポーツファンだとは言えなかった。北京冬季オリンピックの仕事に参加したことで、彼女に初めて少し好きだと思うアスリートができた。中国の武大靖だ。しかし羽生結弦のその会見は彼女に競技の範疇をはるかに超越したところにあるオリンピックの魅力を感じさせてくれた。

 

その午後、記者たちは30分前からプレスルームを埋め尽くしていた。羽生結弦は入ってくると、まずは全ての人に向かって深々とお辞儀をし、一人で演台に上がった。演台の下にいる広報担当者が、挙手をして質問を始めて良いと説明すると、真っ先に羽生結弦が自ら手を挙げ、まず話をさせてほしいと申し出た。仕事の様々なプロセスについて既に熟知している李文瑨は、問題なく対応することができたが、しかし彼女は防音ガラス越しのプレスルームから、これまでに感じたことのないある種の厳かな空気を感じた。

 

同時通訳 3


ガラス越しに羽生結弦の表情と仕草がはっきり見えた

 

羽生結弦北京冬季オリンピックで唯一、8種の同時通訳が付いたアスリートだった。羽生結弦に勝ったフィギュアスケート金メダリストのネイサン・チェンですら、付けた通訳は5種だけだった。

 

35分間のインタビューで、羽生結弦は一つ一つの質問にとても真摯に応えた。彼の受け答えは的確で、心に響くものであった。「とても驚きました。彼は本当に誠実でした。私は自然と彼の言葉と感情の中に引き込まれていました。」同時通訳の声を聞いていると、4Aを完成させられなかった自分を慰めながらも、やはりどうしても納得できない人物はまるで彼女自身かのようだった。

 

インタビューが終わって羽生結弦が立ち上がり、座っている報道記者に深々とお辞儀をした時、ライブ放送の画面は既に切断されていた。同時通訳者たちも仕事は終了したと思っていたが、何と羽生結弦は再びマイクを手に取り、小さな黒い部屋に視線を向けて言ったのだ。「通訳の方も、ありがとうございました。」そしてもう一度お辞儀をした。

 

李文瑨は言う。「全く思いもよりませんでした。彼の通訳者への感謝の言葉を訳し終えると、私は堪え切れずに泣いてしまいました。もともとはその男の子にそれほど興味があったわけでは無かったのに。」

 

退場の際には同時通訳はもう必要ない。羽生結弦は全部で5回お辞儀をした。4回は集まっている人たちに向かって。最後の1回は壇上から降りた後にオリンピックの旗に身体を向けて。李文瑨に最後のお辞儀は見えなかった。撮影記者や現場のスタッフが一斉に押し寄せて小さな黒い部屋からの視界は遮られてしまったから。

 

彼女はきっとこの記者会見を永遠に忘れないだろう。それは人類で初めて4Aに挑み、失敗した会見。しかし羽生結弦の小さな宇宙はまだ燃えるように熱い。

 

冬季オリンピックでの経験は李文瑨のスポーツへの思いを作った。「今、思います。スポーツはみんなを団結させることができる。任子威、ファン・デボン、羽生結弦、みな同じだと思うんです。アスリートは競技場では成績を争っているけれど、みんな一緒に一つのことをしているんです。それはスポーツというもので、人の心を動かすこと。」

 

 3月の冬季パラリンピックが終われば、李文瑨の2年にわたる北京オリンピック組織委員会での体験は終わる。彼女が北京に残るのか、どこかで別の仕事を始めるのかは自分にもまだわからない。しかし彼女は、隣の小さな黒い部屋にいたあの60過ぎのイタリアのおばさんはとてもいいことを言っていたなと思っている。「私はもう40年やってきたけど、まだ続けたいと思っているの。通訳という仕事は毎日新しいことを学べるだけでなく、世界を繋ぐために頑張ることができるから。」

 

おかげで通訳者李文瑨は気付いた。「信、達、雅」が目指す究極の目標。それはまさにオリンピックのモットーの中にある「together」だったのだと。


kuppykuppy's diaryより


私自身も、言語は違いますがkuppyさまと同じく、大分以前に通訳の仕事をやっていた時期があり、思わず感情移入してしまいました。

1回1回の仕事が一期一会なので、一度でも通訳させていただいた方のことは、時間が経過しても決して忘れてしまうことはありません。


李文瑨さんは北京の羽生結弦会見を決して忘れることはないと思ます。

一生の宝物のような記憶になることと思います。


北京 同時通訳 5





今日はひな祭り。


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今年のお雛さま。




お読みいただきありがとうございました。

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