2022年02月25日
結弦くんを好きな訳
わが国では何故か事実を説明したり、ある出来事が起こった原因を追究したりするのが嫌われる傾向があるようですね。
それは「言い訳」 と称されて、自己弁護は見苦しいということにされるようです。
しかし、「言い訳」と呼ばれる「事実説明」がどうしていけないのでしょうか。
事実を明らかにしてその出来事の透明性を確保するのがなにか不都合なことでもあるのでしょうか。
自分に起こった不幸な出来事は黙って飲み込むことがよしとされる反面、自分にとって幸運な出来事の説明は「自慢」とよばれたりもします。
この国では、何を言っても悪口を言われると、羽生選手が言ったことの意味がよーく分かりました。
ケガをしたことを明かすのでさえ揶揄される有様です。
ケガをしても、病気でも、いじめられても黙って耐えるのが果たして美徳なのでしょうか。
この国にいじめが多発するのも分かります。
しまいには、いじめられる方が悪いとまでいう人がいるのですから。
事実の透明性や、説明の論理性は嫌われるのですね。
いったいこれは何なのでしょう。
本当に生きにくい窮屈な国ですね。
こういうところが日本の一番大っ嫌いなところです。
日本が嫌いなのではありません。日本には世界に誇れるところがたくさんあって、私も一日本人として日本を愛しています。
しかし、日本がもっと生きやすい国であってほしいから、説明を「言い訳」といい、「自慢」という、狭量な村社会から脱してほしいのです。
一部の人とは思いますが、妬み深い不幸な人々のつぶやきなど気にしないで、事実を説明し、それに対する自分の見解を堂々と述べる羽生選手でいてください。
私は羽生選手の強さ、美しさ、カッコ良さ、可愛さも大好きですが、それよりももっと好きなのは、適切な言葉で語れる言語力、話し方の論理性です。
それが無かったら「羽生結弦」ではありません。
お読みいただきありがとうございました。
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withgoldenwings at 10:35│羽生結弦