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2022年02月22日

困難=情熱=パッション(受難)




北京五輪終幕から一夜明けて、情報が多方向から押し寄せてきて、どこから手を付けてよいか・・・
自分自身も燃え尽き症候群のようでもあり、途方に暮れています。

22 北京 帰国 2



ともかく羽生選手が無事帰国してくれてよかった。

隔離期間に入るということですが、どうか心と体を十分労わってください。
そして一日も早く足の治療が開始できますように。




何にも手が付かない、そんな中で、脳科学者の茂木健一郎さんのブログで、以前から薄々感じてきたことをドンピシャで指摘してくださっているのを読んで、皆さまとシェアさせていただきたいと思います

2022/2/21 09:45

【芸術家としての羽生結弦選手の演技の与える感動は、
その困難=情熱=passionに由来する】


羽生結弦選手がすぐれたアスリートであることは疑いない。

 ソチ五輪、平昌五輪と二連続の金メダルに輝いている。

 

 しかし、北京五輪をふりかえって思うのは、羽生結弦選手はすぐれたアスリートであるとともに、あるいはそれ以上にすぐれた芸術家、アーティストであるということだ。


 そして、本来、アートは採点やメダルといった基準で評価されるものではない。


 五輪二大会金メダルは偉業だが、メダルなしに終わった北京五輪の羽生結弦選手のスケートを見た心に残るのは、圧倒的な芸術の感動である。その芸術の圧と熱においては、今回の金メダルのネイサン・チェン選手よりもむしろ上回っていたと思う。


 そもそも、芸術に点数などつけられない。

 フィギュアスケートという競技はその点に本質的な矛盾をかかえており、その矛盾というリンクの上で、羽生結弦選手は魂の演技をしてきたのだと思う。


 羽生結弦選手の情熱(passion)はどこからくるのだろうか。


 passionは、ラテン語のpassioに由来する。passioは受難を意味する。キリスト教においてはイエス・キリストのたどった困難な道がpassioであり、それにインスパイアされた名曲がバッハの「マタイ受難曲」である。


 情熱は、受難からくる。


 スケートのリンクの上で東日本大震災に遭遇し、数々の故障に悩まされながらもスケートという道を探求してきた羽生結弦選手ほど、困難=情熱=passionという言葉がふさわしい人はいるだろうか。


 芸術家としての羽生結弦選手の演技の与える感動は、その困難=情熱=passionに由来するのである。


 英語の動画↓


The secret of the passion of Yuzuru Hanyu.


https://www.youtube.com/watch?v=UU35ahfowgA



日本語バージョンのYouTube動画でも同様のことを語ってくださってています。





私自身は宗教的な背景は全くない人間ですし、羽生選手をキリストのような存在とは思っていませんが、茂木さんが指摘されているような、ある種、宗教的ともいえる存在に近いのではないかと感じることもあるというのも事実です。

それは羽生選手の受けてきた数々の困難とそれを乗り越えることでさらに輝きを増していく姿に、自分の分身を見つけ、彼の存在が自分の生きている証のように感じられてくるからです。


それは以前、野村萬斎さんがNumber1045のインタビューで、「みんなの共有物というか、個人が全体となる。それを突き詰めていくと、極論になりますが『神の領域』になってくる」という言葉とも重なってきます。

また、羽生選手は様々なことで、いわれのない非難を受けたり、不当な扱いをされたりしてきましたが、その大きな存在を理解できない人々や、存在が眩しすぎて反感を抱く人々がいることを含めてのカリスマ性であるという言葉にも大いに同感しました。


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「報われなかったからこそ、今は今で幸せだなって思っています。
不条理なことはたくさんありますけれども、少しでも前を向いて、歩いていけるように頑張っていきたいと思います」

と、羽生選手は語っています。

どんな人でも、不条理を感じずに生きている人はいないと思います。
ましてや羽生選手ほどの輝きを身にまとった人は、人一倍、いえ、人の10倍、100倍の不条理に遭遇することもあるでしょう。

それらの不条理を乗り越えていく羽生選手に、自分を投影しているからこそ、ただ強いから、ただ美しいからというのではない、もっと強いシンパシーでファンになるのだと思います。

世界中に拡がったファンは、これからも羽生結弦選手を心のよりどころとして、胸にともる光として、共に生きていこうと思っていることを忘れないでほしいと思います。


先ずは足のケガを完全に治して、心に溜まっている不条理の塊を溶かしてください。

そしてまた羽生選手が再始動するとき、それがどんな選択であっても、これまでと同じように、これまでよりも一層、羽生選手を応援し、寄り添っていきたいなと思っています。

「Come prima」というカンツォーネの歌詞のように。
”come prima, piu' di prima t'amero”

初めて会った時のように、初めてあった時よりももっと強く、君を愛し続けるよ。


お読みいただきありがとうございました。

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withgoldenwings at 00:17
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