歴史に残る名演技もしも二人が戦えば

2021年01月25日

冨田勲さんの音楽と矢野桂一さんの編曲と




羽生選手のフリーの新プログラム「天と地と」は、1969年のNHK大河ドラマ「天と地と」、
そして1972年のNHK大河ドラマ「新・平家物語」の音楽を編集したものになっています。

この2つのテーマ曲を作曲したのが冨田勲さんです。

これが冨田さんの曲だと知った時、私はちょっと意外な感じがしました。

冨田勲さんと言えば、私の中ではシンセサイザー音楽の作曲家というイメージがあったからです。


調べて驚いたのですが、冨田さんは大河ドラマの音楽を多数担当されていたのです。

NHK大河ドラマ

  • 大河ドラマ第1作:花の生涯(1963年)
  • 大河ドラマ第7作:天と地と(1969年)※ 初のカラー大河ドラマ
  • 大河ドラマ第10作:新・平家物語(1972年)
  • 大河ドラマ第12作:勝海舟(1974年)
  • 大河ドラマ第21作:徳川家康(1983年)


その他にも、映画、ドラマ、アニメ、校歌、CMと、ありとあらゆるジャンルの、数えきれないほどの音楽を手掛けた多作の作曲家でした。


以下、ウィキペディアから経歴のほんの一部をご紹介します。


やがて古典的な「アコースティック楽器の
オーケストラ」の音には飽きたらなくなり、当時新たに登場してきた電子機器と古典的楽器の音を融合させるなど、様々な音楽の可能性を追求するようになった。さらにその後1969年に電子楽器モーグ・シンセサイザーに出会ったことが転機となり、これ以降は古典的名曲を現代的な解釈を加えて編曲し、自宅スタジオでシンセサイザーを演奏・多重録音して作品を制作し世に発表することが活動の中心となった。その音楽や音響効果は「TOMITA SOUND トミタ・サウンド」と呼ばれ、「Isao TOMITA イサオ・トミタ」の名は広く世界に知られている。

1971年秋頃、モジュラー式のモーグ・シンセサイザー(モーグIII-P画像)を日本で初めて個人輸入した。非常に高額な楽器であり、金銭面で苦労したという。

1975年3月開催の第17回グラミー賞において日本人として初めてノミネートされた[11]。この快挙はNHKなど国内のマスコミによっても報じられ、米国RCAレーベルのレコードが国内に(『月の光 - ドビッシーによるメルヘンの世界』として)逆輸入されたことなどにより、その作品が知られるようになった。またNARM(National Association Of Record Merchandiserers 全米レコード販売者協会)の1974年最優秀クラシカル・レコードにも選ばれた。

1975年2月発表の『展覧会の絵[12]は、1975年8月16日付けのビルボード・キャッシュボックスの全米クラシックチャートの第1位を獲得し、1975年NARM同部門最優秀レコード2年連続受賞、1975年度日本レコード大賞・企画賞を受賞した。

同年9月発表の『火の鳥[13]は1976年3月20日付けのビルボード全米クラシックチャート第5位を記録した。

1976年12月20日発表の『惑星[14]も1978年2月19日付けのビルボード全米クラシック部門で第1位にランキングされた[15]。『バミューダ・トライアングル』では発売翌年のグラミー賞で "Best Engineered Recording"に2回目のノミネートを受けた。1983年のアルバム『大峡谷』では3回目のグラミー賞のノミネートを受けた。以降『バッハ・ファンタジー』(1996年)まで、冨田勲のアルバムはいずれも世界的なヒットを記録している。

1979年に米コンテンポラリー・キーボード誌の読者投票により“ベスト・スタジオ・シンセシスト”に選ばれた。冨田のシンセサイザー作品群は、全ての音色作りはもちろん、全パートの演奏、録音、編集までを含めて冨田自身の一人の手による制作であり、現在のパーソナルスタジオによる音楽制作の先駆けであったといえる。

ここで教えを受けながら助手として働いた松武秀樹は、後にイエロー・マジック・オーケストラの第4のメンバーとしてシンセサイザー・マニピュレーターの役割に就いた。海外では、スティービー・ワンダーが、来日した際に最も尊敬している音楽家として冨田の名前を挙げている(後に長良川でのサウンドクラウドに登場している)。マイケル・ジャクソンも、来日(1987年9月24日)の際に冨田のスタジオを訪問した[16]。また『惑星』の立体音響に深く感銘したフランシス・フォード・コッポラ監督は、映画『地獄の黙示録』の音楽を冨田に要請したが、レコード会社との専属契約の関係で実現には至らなかったとされる。


1998年日本の伝統楽器と西洋オーケストラとシンセサイザーによる『源氏物語幻想交響絵巻』を作曲。東京、ロサンゼルスロンドンで初演、自ら指揮棒を振った。1999年、メディア・アーティスト協会創設に参加。

2001年、東映50周年記念作品映画『千年の恋 ひかる源氏物語』の音楽を作曲し、日本アカデミー優秀音楽賞を受賞。また、東京ディズニーシー・アクアスフィアのための3面立体音響シンフォニーを手掛ける。


20 全日本 朝日新聞 9


このように、日本の伝統楽器とオーケストラとシンセサイザーの組み合わせによる作曲を多く手掛け、世界的にも非常に高く評価された作曲家でした。


羽生選手が新プログラムに冨田勲さんの曲を使うことについては、和楽器を使った曲でありながら、世界にアピールできる現代性を備えた素晴らしい選択だなぁと敬服しました。

また1969年と言う、羽生選手が生まれる25年も前のNHK大河ドラマの曲をよく見つけてきたものだなぁというのも驚きでした。

これも上杉謙信公との縁が引き寄せためぐり合わせなのかもしれませんね。


20 全日本 朝日新聞 7




Number1019号には、新プログラムの曲の編集を担当された矢野桂一 さんの記事が掲載されています。


琵琶の音色を付け加えたり、箏の音色にハープの音色を重ねたり、シンバルやチューブラーベルという楽器を使ったり、最後の部分は琵琶の音にエコーをかけて余韻を持たせるなど、音響デザイナーとして素晴らしい曲を作って下さいました。


20 全日本 FS 13




私事になりますが、私の母は子供のころから筝を習っていて、父は趣味で尺八を吹いたりしていたのですが、ある時、なぜか突然、琵琶を買ってきたことがありました。

どこかで琵琶法師の音楽を聴いて、えらく気に入ったらしいのです。

そんなわけで、私も子供のころから筝、琵琶、尺八という和楽器は身近にあったので、今回の音楽は非常に気に入っています。

琵琶はリュートと、箏はハープと似ています。
楽器を通しても、世界の中の日本、日本の中の世界を感じたりします。


和楽器って、西洋の楽器とは音階が違うので、扱い方によっては現代音楽のようにも聞こえたり、ジャズ風な趣も感じられたりして。

羽生選手の『天と地と』をきっかけにして、世界にもっと和楽器の素晴らしさが広がって行ったらいいなと思っています。


20 全日本 朝日新聞 6

結局、この曲を選んだ羽生選手の音楽的センスが素晴らしいということ。



最後までお読みいただきありがとうございました。

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withgoldenwings at 22:41│羽生結弦 | 天と地と
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