2020年12月31日
光のさす方へ
今年も最後の日となりました。
Sportivaから折山淑美さんの素敵な2本の記事をお借りして、全日本選手権を振り返り、
今年最後を締めくくりたいと思います。
全日本選手権ショート・プログラムで首位発進し、落ち着いてフリーを迎えた羽生結弦。初披露となった『天と地と』をノーミスで演じ、5年ぶり5度目の優勝を飾った。約10カ月ぶりとなった大舞台で羽生が見せた未来への強い意志とは。@sunao_notohttps://t.co/b0WGGliRXb
— 集英社スポルティーバ (@webSportiva) December 28, 2020
全日本選手権ショート・プログラム(SP)首位発進後、翌日のフリーに向けて羽生結弦は「まずはしっかりと体を回復させることが大事だと思います」と話した。フリー当日の午前の公式練習では、落ち着いた雰囲気が印象的だった。
(中略)
迎えた夜の本番。
羽生は、1969年のNHK大河ドラマ『天と地と』のテーマ曲で滑り出すと、
計算された動きの中で力みのない4回転ループを難なく決め、
4回転サルコウ、
トリプルアクセル+2回転トーループ、3回転ループと、流れを途絶えさせない。
さらに後半も力む素振りも見せず、4回転トーループ+3回転トーループと
4回転トーループ+1オイラー+3回転サルコウ、
トリプルアクセルを鮮やかに跳んだ。
SPでは4回転2本に不満を持っていたが、この日は「これぞ羽生結弦のジャンプ!」と強くアピールするような、見事なノーミスのジャンプを続けた。
羽生は演技後にこう話した。
「まずは自分自身、このプログラムに思い入れがあって曲を聞けばすごく感情も入るし、振りの一つひとつにもいろんな意味を込めています。そうした中でもやっぱりジャンプを完成させないと、プログラムの一連の流れとして伝わるものも伝わらなくなってしまう、と。
本当に自分が伝えたいものが、このプログラムで見せたかったことが、ジャンプが途切れなかったという意味でも、少しは見せられたのかなと思います」
さらに昨シーズンを振り返り、吐露した。
「ともに2位だった全日本選手権とグランプリ(GP)ファイナルのこともあり、自分が成長していないんじゃないかなとか、だんだん勝てなくなっているのではないかなとか、そういう思いがあって、一瞬、『戦うのが疲れたな』と思った時期もあった」
だが、コーチと離れ、ひとりで練習して落ち込んだり、考えを巡らせたりする中で、戦いの中で得られる達成感や、試合があるからこそ苦しみを乗り越えられることなど、競技を続けて向き合うことが「やっぱり好きなんだ」と、あらためて感じたという。
大河ドラマの『天と地と』は、「義」を重んじた武将・上杉謙信の物語だ。謙信の戦いに対する考え方や、そこにある美学。さまざまな規制がある中で葛藤し、最終的に出家した人生。
そうした悟りの境地へ達した謙信の価値観と、今の自分の思いが少し似ていると感じて、羽生は思いをリンクさせながら滑ったと話す。
(中略)
羽生は、自身の思いが詰まったプログラムで215.83点を獲得。合計を319.36点にし、5年ぶりの優勝を果たして昨年の悔しさを晴らした。
コーチ不在の中でさまざまな悩みを持ちながら、そして自分自身の心の中の葛藤とも戦いながら出場した全日本選手権。
その舞台での初披露でノーミスの演技をした『天と地と』からは、彼自身の「新しい自分の代表的なプログラムに育て上げていく」という、強い意志も伝わってきた。
新プログラム「天と地と」の中にも、SEIMEIを演ずるに当たって野村萬斎さんから示唆された「天・地・人」というテーマが受け継がれているなと感じました。
SEIMEIをさらに進化させていく「天と地と」は、初めて観た時のインパクトとしては旧「ロミオとジュリエット」、その完璧さと言う点ではヘルシンキワールドの「Hope & Legacy」を彷彿とさせるものでもありました。
一度観ただけで、これは過去最高のフリープログラムになるのではないか、
という思いが沸き上がってきました。
スケートを滑る喜びを取り戻すきっかけとなった「春よ、来い」を舞った。
今年はコーチ不在で「精神的にどん底まで落ち込んだ時期もあった」と振り返る羽生結弦。しかし、こんな時代こそ悩むよりも自分のできることを考えたという。何よりもこの世の中に一番伝えたいメッセージ。全日本選手権でみせたのは羽生の強い決意だったーー。@sunao_notohttps://t.co/uJZn86HWiF
— 集英社スポルティーバ (@webSportiva) December 30, 2020
新型コロナウイルス感染拡大を受け、羽生結弦は感染リスクを考慮し、グランプリ(GP)シリーズの欠場を決めた。自身の行動を自粛することで、ファンやメディア、関係者らが移動に伴う感染のリスクを減らしたいという配慮もあった。
そうした中、出場を決めた12月25〜27日の全日本フィギュアスケート選手権。だが、感染の第3波の中での開催となり、「自分が出てもいいのか」との葛藤があったと、競技前日の公開練習後に吐露していた。そして、5年ぶりの優勝を果たした後も、その思いは消え去っていないと話した。
「僕の望みはとても個人的なことなので、貫いてよかったのかとの葛藤は今でもあります。ただ、自分としては、もし(来年3月の)世界選手権が開催されるのであれば、(大会に向けて)近づいておかなければ今後が難しいという思いがすごくあった。コロナ禍の暗い世の中でも、自分自身がつかみ取りたい"光"に手を伸ばしたという感じです」
開催されることになれば、世界選手権で2022年北京五輪の国別出場枠が決まる。そうした大切な大会への出場権を争う全日本選手権に、日本男子フィギュアを牽引する者の責務として参加した面もあったのかもしれない。
(中略)
羽生は「精神的にはどん底まで落ち込んだ時期もあった」と振り返る。4回転アクセルの練習の衝撃で足に痛みが出て、他のジャンプもどんどん崩れた。トリプルアクセルさえ跳べない時期もあり、「これからどんどん技術が落ちていくのだろうか」との思いがよぎり、負のスパイラルに陥ったという。
「自分がやっていることがすごく無駄に思える時期が長かった。トレーニングや練習の方向を考えるだけでなく、新しいプログラムの振り付けも考えなければいけなかったり、自分で自分をプロデュースしていかなければいけないプレッシャーもありました。応援してくれる人たちの期待に、本当に応えられるのか。そもそも自分は4回転アクセルを跳べるのかと......。
それに、入ってくる情報では他の選手が皆すごくうまくなっているようだったので、自分ひとりが取り残され、ただ暗闇に落ちていくような感覚になった時もありました。『ひとりは嫌だな』『疲れたな』『もうやめようか』とも思ったりして。
でも、エキシビションの『春よ、来い』と、
ノービス時代の『ロシアより愛をこめて』を滑った時に、
『やっぱりスケートが好きなんだな』と思ったんです。
スケートじゃないと自分はすべての感情を出し切ることができないな、と。だったらもうちょっとわがままになって、誰かのためではなく自分のためにも競技を続けてもいいのかな、という気持ちになれた。そこでちょっと前に踏み出せました」
(中略)
「今、スケートができること自体、本当に恵まれていることなんだなと思いました。苦しかったかもしれないけど、こういう状況だからこそ、自分の演技が明日までではなくてもいいから、その時だけでも、演技が終わった後の1秒だけでもいいから、見ている人たちの生きる活力に少しでもなったらいいなと思いました」
フリーの『天と地と』では、戦国武将・上杉謙信が抱いた、戦いの中での葛藤を自らとリンクさせ、羽生の今の心象風景を緊張感の中で見せようとした。
葛藤の末に出場を決めた全日本ゆえに、そして、このような世の中だからこそ完ぺきな演技を見せたいという強い決意を感じた。自分の演技を観てくれる人たちが笑顔になる瞬間を少しでも増やしたい、という気持ちがプログラム全体に表われていた。
12月28日のメダリスト・オン・アイスで、羽生は一歩踏み出すきっかけになった『春よ、来い』を滑った。彼自身が『天と地のレクイエム』とともに、自分らしさや自分の色を出せていると説明していたプログラムだ。
演技後の場内インタビューで羽生は「(『春よ、来い』は)この時期にピッタリというか、何よりもこの世の中に一番伝えたいメッセージだったので。少しでも(観客の)心が温まるように演技をしました」と話した。
いつかは春が来る。
その時へ向けて、しっかりと一歩を踏み出したいという、羽生結弦の強い意志を感じさせる全日本選手権の3本のプログラムだった。
羽生選手の素晴らしい3つのプログラムで1年の最後を迎えられたこと、
感謝と喜びで心が満たされています。
今年一年、当ブログをお読みいただきありがとうございました。
心よりお礼申し上げます。
新しい年が羽生選手と皆さまにとって、光を取り戻す再生の年になりますように。
来年もよろしくお願いいたします。
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