2019年04月22日

2019年04月22日

憧れの女性


荒川静香さん、羽生結弦選手、二人のオリンピック金メダリストを輩出したアイスリンクリンク仙台。

アイスリンク仙台 1


アイスリンク仙台 2


今や聖地となっていますね。

そんなアイスリンク仙台の阿部奈々美コーチのインタビューです。



アイスリンク仙台から世界へ。
阿部奈々美コーチインタビュー

奈々美先生 インタビュー 1


日本のフィギュアスケート発祥の地、仙台。異国人によって伝えられたのは19世紀の終わり頃といわれています。
100年を超える歴史の中でスケートは市民に愛され、その文化を醸成し、世界に誇るトップスケーター達がこの街から世界へと羽ばたきました。その陰には、原石を磨き上げた指導者たちの存在があります。
荒川静香さんらスター選手を支えてきた阿部奈々美さんは、仙台出身。地元のフィギュアスケート発展への思いを聞きました。

<仙台フィギュア事情の変遷と、オリンピック選手の誕生>

——仙台のフィギュア事情はどのように変遷してきたのでしょうか。

40年ほど前は今より多くのリンクがありました。県内で5、6ヵ所はあったと思います。私の実家の近くにもあり、先に習い始めた兄や姉についていくうちにいつのまにかスケート靴を履いていました。母からは「3歳前には氷の上に立っていて驚いた」と聞かされました(笑)。
小学校時代はフィギュアを習っている友達も多かったですね。1988年、泉区にできたリンクがアイスリンク仙台の前身。荒川静香さんも羽生結弦選手もここから巣立っていきました。


<「聖地・仙台」でスケートをするということ>

一方で仙台は、驚くべきことに、1つの民間リンクから2人ものオリンピック金メダリストが生まれています。日本中を探してもそんな街は他にない。私たちの誇りです。

奈々美先生 インタビュー 4


——仙台はまさに「聖地」! アイスリンク仙台は「伝説のリンク」ですね。

そう。荒川さんや羽生選手が育った同じリンクで滑る感動や、「いつか自分も」という強いモチベーションは、仙台で練習する選手だけが抱くことのできる宝物です。
アイスリンク仙台では、4つのクラブが活動しています。大学を中心に展開する名古屋・大阪と違い、幼少時代から一貫して地元のクラブでトレーニングできるという強みがありますね。また、選手育成に大変理解が深く、惜しみなく協力してくれるリンクですので、選手にとっては恵まれた環境です。


全文はこちらから



羽生選手がクリケットクラブに移るまで、アイスリンク仙台でコーチとして指導していた奈々美先生は凛とした佇まいが美しく、憧れてしまいます。


何度かアイスリンク仙台を訪れた時も、リンクの上に奈々美先生がいるのではないかと探してしまいました。

残念ながら、まだお姿を拝見したことはありませんが、いまも毎日リンクで指導に当たっていらっしゃるのですね。



羽生選手が世界に羽ばたくきっかけとなった『ロミオとジュリエット』をはじめ、数々の羽生選手のプログラムの振付も担当し、今日の羽生選手の基礎を創って下さった功績は計り知れないと思います。



全日本 2011 3 (2)

2011年 全日本の初めての銅メダルを奈々美先生に掛ける羽生選手



12 セセン sp キスクラ 4

そしてニースの世界選手権へ SP『悲愴』のキス&クライで


Nice 4

2012年 ニース世界選手権 FS『ロミオとジュリエット』演技直前



長いインタビューですが、是非全文をお読みください。
奈々美先生の温かいお人柄
とフィギュアスケートへの情熱が感じられます。




インタビューは3月20日付けとなっていますが、仙台に帰省中の羽生選手は恩師と再会できたのかな。

そうだといいな。



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withgoldenwings at 09:53|Permalink羽生結弦 | インタビュー