2019年05月07日
母を語る★マイレピ記事2つ
今週末は母の日ですね。
マイレピにもそれに合わせたように、母を語る羽生選手の記事が更新されました。
17歳でカナダに渡ってから、今年でもう8年目になるんですね。
外国暮らしにももう慣れたと思いますが、やはり日本語でなんでも遠慮なく話せるのはお母様だけではないかと思います。
世界のトップで戦っている羽生選手にとっては、お母様は正に戦友なのでしょうね。
「おめでとう」と言って金メダルを掛けるのも、お母様も一緒に戦った結果がこの金メダルなんだよ、という気持ちからでしょう。
お母様にしてみれば、羽生選手の身の回りの世話から、食事の管理、健康管理、関係各所との連絡や調整、それこそご自分のことなど考えていられないくらいお忙しいと思います。
そんな中でも羽生選手の未来まで見通した上で守って下さる、かけがえのない存在なのですね。
今回の第34回と、2018年11月の第17回を一緒に読むと、羽生選手のお母様への気持ちが一層理解できると思います。
【今だけ一般公開中】
第34回
羽生選手が語る、「母への感謝の気持ち」
2019/05/07
https://www.myrepi.com/home/entertaining/yuzu-days-100011
羽生選手が生まれて24年、スケートを始めてから20年間、お母様はずっと羽生選手を支え続けてきました。スケートを離れた時の、母親と息子の日常の風景や、飾らないお母様への想いを伺いました。
◆少年時代の母と子の風景
子供の頃、母親や家族から「スケートばかりで、他がおろそかになってはいけない」ということを言われて育ってきた気がします。例えば、人としての常識や人に対する感情や想いを大切にするように言われてきました。常識といっても、それぞれの家庭によって違うと思いますが、僕が家族に教わったことは今の自分自身を形成する一部になっているなと思います。
「反抗期」も特に自分ではなかったと思います。だけどこの間、昔の映像を見返して気づいたのですが、中学3年から高2の頃の僕の母親に対する態度が素っ気ないなと、映像を見て客観的に思いました(笑)。でもそれはきっと、学生時代に誰でも通る流れのようなものに乗っているだけなので、僕の気持ちとしては母親との距離感は昔から変わっていないです。
大人になった今でも、ずっと母には言いたいこと言ってしまっているので、そういう意味では、ずっと反抗期と言えば反抗期かもしれませんね(笑)。今でもずっと変わらない所なのですが、自分が納得しないとモヤモヤしてしまうので、自分が腑に落ちるまで母に話し続けたりしています。ずっと同じテーマについて、長い間話していることもあるので、母は面倒くさいこともあるんじゃないかなと思います。でも、家族だから、率直に言いたいことを言えるし、言葉に出さなくても通じ合える思いもありますし、それは親子ならではのありがたいところだなと思います。
◆未来を見越したうえで
守ってくれる母
母は、僕の考えを尊重してくれて、進む道をちゃんと未来まで見越した上で守ってくれています。例えば、「僕自身が、スケートを好きで始めた。」という気持ちを絶対に消さないでいてくれます。
僕の最終的な目標がオリンピックの連覇になったときには、そこに向かうまでの過程を一点に絞って支え続けてくれました。平昌2018冬季オリンピック前に大きなケガをしたときも、ずっと母が側にいて、安心できる場所を作ってくれました。
僕は母親の自分を犠牲にしてでも、息子を守りたいという愛情をひしひしと感じながら生きています。
◆金メダルは母に、
「おめでとう」と言って掛けました。
平昌2018冬季オリンピックで最初に金メダルを掛けたのは、母です。いつから始めたかわからないのですが、金メダルを最初に母親にかけるという儀式的なものはずっと続けていて、たぶんソチ2014冬季オリンピックのときもかけていたと思います。
金メダルをかけたときには、「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えると共に、「おめでとう」という気持ちも伝えました。それは、僕が言うのも変かもしれませんが、「母も僕と一緒に戦っている」そういう思いがあるから、母に「おめでとう」という気持ちを伝えました。
母親に対する気持ちをひとことにすると「感謝」です。母が存在して自分のことを想ってくれることをちゃんと感じて、感謝の気持ちを当然ながらに持っていようと自分の中では強く思っています。
こちらも合わせて読みたい
マイレピ第17回
羽生選手が語る、「母への感謝の気持ち」
2018/11/20
https://www.myrepi.com/home/entertaining/yuzu-days-1711-tym
17歳の春、カナダのトロントに生活の拠点を移し、お母さまとふたりでの海外暮らしも6年目となった羽生選手。かつてのインタビューで”母親がいなかったらカナダでは生活していけない”と語っていた羽生選手に、改めてお母さまへの感謝の気持ちについて伺いました。
★料理や過ごしやすい環境は
母が作ってくれています
今はカナダで母とふたりで暮らしています。もう6年目になりますね。
食事はすべて母が作ってくれています。小さい頃からずっと食べている母親の味というのは、やはりすごくホッとするし、そこでしか得られない安心感があります。
洗濯も毎日してくれて、家や身の回りをすごくきれいに整えてくれて、過ごしやすい環境にしてくれて・・・そういうところは、やはり母親ならではのありがたさを感じます。
カナダの家は、家族全員が一緒でなくても、“トロントの実家”というと変ですが、“自分の家”だという安心感があります。それは母親が、トロントでずっと側にいてくれて、料理の味だったり、洗濯の香りだったり、そういった、僕の周りの「空気感」のようなものを母が作ってくれるからだと思います。
★言葉にしなくても伝わる
絆や愛情が支えです
母とは本当に何でもよく話をします。僕がなんでも言っちゃうタイプなので、自分の頭の中で考えたことをぶわーっと母に話しちゃいますね。(笑)親子だからこそいろんなことを言いあうし、ときにはケンカをすることもあるし、一緒に分かち合える喜びや幸せもあります。そして、逆に、そっとしてくれるのも母親なんです。僕がそっとしておいて欲しいと思っているときには、言葉にしなくてもわかってくれるんですよね。
もともと親子ってひとつの細胞からできているわけじゃないですか。親子だからこそわかる言葉にしなくても伝わる絆や愛情ってあると思います。そういった「距離の近さ」が最終的に心の支えになっているなと思います。
★見守って、支えてくれる母は
一緒に戦ってくれているんだと
思います
母親の立場でスケートを観るのって、すごく緊張すると思うんです。姉がスケートをやっていたので、姉の試合を観戦していたからよくわかるのですが、観ている立場って大変ですよ。ものすごく緊張するんです。出ているほうは、試合でやることがある程度決まっているわけなので、緊張より集中のほうが強くなるんです。でも、応援している側の緊張感というのは、胃が痛くなるくらいだと思います。祈るような気持ちで見守ってくれる。それがわかるから、母も僕と一緒に戦ってくれているんだなと感じます。
ずっと支えてくれて一緒に戦ってくれている母の気持ちを自分の中に受けとめて、スケートに生かしていきたいなと思います。
今日夕方、花屋さんの店先でお母さんに贈る花を申し込んでいる人をたくさん見かけました。
「全ての人にお母さんは一人づつ平等に存在するんだ」、なんて当たり前のことを新たに発見したような気分になってしまいました。
結弦くんも今週末にはお母様にカーネーションを送るのかな。
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