2018年08月27日
楢葉町再訪の意味
3年ぶりに楢葉町を再訪した羽生選手 。
「再訪」と「裁縫」をカケたわけではありませんよ。
裁縫教室の皆さんに金メダルを持ってきていたのですね。
金メダルの重み、実感してみたいですねー。
楢葉町のキャラクターはなんと、ゆず太郎だと初めて知ったようです。
楢葉町は昔からゆずの栽培をしているのですね。
丸くて黄色いとプーさんを連想します。
2度目の訪問だから、打ち解けた表情で皆さんと話しています。
ご近所のおば様たちと話しているみたい。
羽生選手はその中で、「逃げちゃったかな」って思っている自分がいると、率直に気持ちを吐露していました。
羽生選手が逃げたなんて誰も思いませんから。
どうか自分を責めないで。
当時の状況からして、むしろ逃げられる限りの人は逃げるべきだったのですから。
私だってあの日から1週間、東京から関西地方に逃げていました。
楢葉町の人々は、言わば4年間も逃げることを強いられていたのです。
家屋の倒壊だけならば、4年間避難する必要はないわけです。
避難解除された現在だって、楢葉町からわずか16km先には、廃炉のメドも立たない原発の残骸が、日々汚染水を排出しながら厳然として存在することに変わりないのです。
楢葉町の人々が決して安心しきって暮らしているわけではないと思います。
そんな中でも前を向いて一日一日を生きる皆さんのお気持ちを考えると辛いです。
3年前、被災地を訪れた羽生選手が「つらい、つらい、つらい」とつぶやいていた気持ち、よく解ります。
羽生選手がもどかしそうに言葉の端々に表現しようとすること、立場上はっきりした物言いはできないんだろうなと感じます。
でも、楢葉町を繰り返し訪れてくれることに、メッセージが込められていると受け止めています。
最低限私たちにできることは、決してこの厄災を忘れないこと。そして二度とこのようなことのないよう地震や津波に対する備えを進めること。地震大国で国土が小さいこの国に原発が多数あることの是非を真剣に考えることだと思います。
いえ、思うだけ、考えるだけでは何も変わらない。
一人一人がその思いを行動に変えていかなければ何も変わらないのです。
楢葉町の方々はじめ、被災地の方々が心の底から笑える日が来ることを心より願っています。
せっかく楽しいアイスショーを見た後で、こんなシリアスな話になってしまいましたが、羽生選手が真に望んでいる被災地の復興には、こういう問題を避けては通れません。
そして地震や災害が多発するこの国に住んでいる以上、いつそれが自分の身に起こっても不思議ではないのです。
羽生選手の行動を単なる「美談」や「感動」に終わらせたくありません。
彼の気持に応えるためにも、同時に自分自身のためにも、これからも真剣に考え続け、アクションに落としていかなければと、思いを新たにした24時間テレビでした。
関連記事:8月5日 羽生選手の楢葉町訪問
こちらは 3年前の楢葉町訪問の動画です。
結弦君、滑ってくれてありがとう。
あなたの気持ちと問題意識、確かに受け取りました。
帰ってきたスワンの美しい Notte Stellata は前記事です。
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