2018年07月27日
二つの銀メダル☆2015年上海ワールド
ソチオリンピックと平昌オリンピックの間には4回の世界選手権がありました。
さいたま-上海-ボストン-ヘルシンキです。
さいたまとヘルシンキでは、羽生選手が金メダルでしたが、上海とボストンでは、ハビエル・フェルナンデス選手が金メダルに輝き、羽生選手は2年続けて銀メダルに終わっています。
この4年間で羽生選手は 金−銀−銀−金 という結果を残していますが、負けたのは唯一リンクメイトであるハビエル選手にだけでした。
正にユヅハピ時代でしたが、羽生選手にとっては、金メダルに挟まれた二つの銀メダルの時期は、次々と怪我や病気に襲われた苦しい時期でもありました。
2015年上海での世界選手権は、前年2014年全日本選手権の直後の尿膜管遺残症の手術と、その後の右足の酷い捻挫でトロントにも帰れず、十分な練習もままならず日本から上海に直行。
バラード第1番でSPは1位に。
SPは1位だったものの、FSのオペラ座の怪人で3位となり、総合2位で銀メダルに。
プーさんの数は過去最高ではなかったかと。
そして金メダルはハビエル選手の元へ。
ハビエル選手にとっては初の世界選手権優勝。
羽生選手が「おめでとう」を言った時、ハビエル選手が、「僕にとっては君がいつもチャンピオンだよ」と言ったというのは、今や有名なエピソードです。
自分が優勝した時に、こんなこと言える人はきっとハビエル選手だけだと思います。
そんなこと言われたら誰でも泣いてしまうでしょう。
羽生選手はハビエル選手のこと、「競技に向いてないんじゃないか、と思うくらい優しい」と言っていましたね。
悔しさの中にも、ちょっぴりハビのための嬉しさも交じっているような、なんとも言えない表情で銀メダルを見る羽生選手。
「次は絶対勝ってやる!」と、絶対思っていますね。
楽しい時も辛い時もリンクを共にして、互いの猛烈な努力を知っているからこそ、羽生選手にとって、勝利を譲っても悔いはないと思えるようなライバルは、後にも先にもきっとハビエル選手だけなのだろうと思います。
羽生選手とハビエル・フェルナンデス選手との関係過去記事にもあります。
よろしければご覧ください。
ハビエルとの出会い (7/8)
友情と戦いの歴史 (7/13)
次は2016年ボストンワールドも振り返りたいと思います。
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withgoldenwings at 00:30│羽生結弦 | 2015年 上海世界選手権